――他人の目より、自分の未熟さを見よ
孔子は、人の評価や承認にとらわれる心に対し、
きっぱりと次のように語りました。
「人(ひと)の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えず。
己の能(よ)くするなきを患う。」
この言葉は、他人に認めてもらえないことを悩む前に、
自分にまだ力が足りないことをこそ省みよという教えです。
背景:
孔子自身も、在世中はその思想や徳が広く認められたわけではなく、
仕官の機会にも恵まれませんでした。
しかし彼は、人に評価されないことに心を煩わせるのではなく、
「道を行う自分自身を磨くこと」に徹し続けたのです。
この章句は、その姿勢を弟子たちにも強く説いたものです。
原文とふりがな付き引用:
「子(し)曰(いわ)く、
人(ひと)の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えず。
己(おのれ)の能(よ)くするなきを患う。」
注釈:
- 人の己を知らざる … 他人が自分を評価してくれないこと。
- 患う(うれう) … 心配する、悩む。
- 己の能くするなき … 自分に実力・能力・徳が足りていないこと。
教訓:
この章句は、現代においても非常に重要なメッセージです。
- 承認欲求や評価依存が強まりやすい社会の中で、
孔子は「他者の目より、自分の実の足りなさに目を向けよ」と語ります。 - 評価されないからといって腐らず、
「まだまだ至らない」という自省の心があれば、学び続ける者であり続けられるのです。
1. 原文
子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我則不暇。
2. 書き下し文
子貢(しこう)、人を方(くら)ぶ。
子(し)曰(いわ)く、賜(し)や、賢(けん)なるかな。
夫(そ)れ我は則(すなわ)ち暇(いとま)あらず。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
「子貢、人を方ぶ」
→ 子貢は、人と人を比較し、あの人は誰に似ている、この人は誰より優れている、などと評していた。
「子曰く、賜や賢なるかな」
→ 孔子はそれを見て言った。「賜(子貢)は本当に賢いのだな。」
「夫れ我は則ち暇あらず」
→ 「私はそんなことをする暇はないよ(=私はもっとやるべきことがある)。」
4. 用語解説
- 子貢(しこう):孔子の弟子。本名は端木賜(たんぼくし)。弁舌に優れ、商才や観察力にも長けていた。
- 方(くら)ぶ:比較する。人と人とを対比し、評価すること。
- 賢(けん)なるかな:賢明だな、才知があるな、という皮肉または賞賛。
- 暇(いとま)あらず:時間の余裕がない、という表現だが、ここでは「そのような比較をすることに価値を見出さない」という孔子の態度の表明。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
子貢が、他人同士を比較して人物評をしていた。
それを見た孔子は、こう言った:
「賜(子貢)は本当に賢いね(感心というより皮肉を込めて)。
私はそういうことにかまけている暇はないよ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「他人を比較して論じることの虚しさ」**と、
**「本質的な自己修養への集中」**を対比的に描いたものです。
- 子貢のように人を比較・評価することは、観察眼や弁舌の才として評価もできる。
- しかし孔子は、それよりも**「自分自身の修養・道を究めること」にこそ時間を使うべき**だと考えていた。
- 他人と他人を比べることよりも、自分の徳・行動・成長に目を向けるべきという、儒教の基本姿勢が示されている。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
✅「他人の評価に時間を費やすより、自分の成長に時間を使え」
- 「誰が優れているか」「誰と誰が似ているか」と語るのは知的な遊びにすぎない。
- “比較より貢献”が、評価されるビジネスパーソンの姿勢。
✅「観察・分析も重要だが、“評価者目線”に浸りすぎない」
- 子貢のような人物分析スキルは、営業やマネジメントに有効だが、
それに満足して“自らの行動を忘れる”と本末転倒。 - 孔子のように、“学び続ける実践者”であることが本質的な成長を生む。
✅「本当に賢い人は、“比較”より“実行”を選ぶ」
- 成果を出す人ほど、他人を気にせず、自分の課題に集中している。
- 「時間の使い方」が、その人の信念と深さを映し出す。
8. ビジネス用の心得タイトル
「比較するな、磨け──評価より実践が人を高める」
この章句は、知識や分析があることよりも、
“自己の道を歩む実践”に集中することの尊さを示しています。
孔子のように、**「比べず・語らず・黙々と深める姿勢」**こそが、
現代においてもブレない人間の軸となることを教えてくれるのです。
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