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融通もいいが、志を捨てては生きる意味がない

――やめるのは簡単。だが、本当にやめていいのか?

衛の国で、孔子は**磬(けい)**という玉製の楽器を打っていました。
その音を耳にした、もっこ(蕢:くわい)を担ぐ労働者がこう言います。

「おお、これは“心”のこもった音だな。」

しばらく立ち止まって聴いたあと、彼はさらにこう続けます。

「いや、かたくなでコチコチな音だ。
世の中に自分を理解してくれる人がいないなら、もう引いてやめてしまえばいいじゃないか。
『水が深ければ衣を脱ぎ、浅ければすそをまくる』――これは詩経にもあるように、
その場に応じて柔軟に生きればいいのだ。

これを門人が伝えると、孔子は思慮深く、しかしきっぱりとこう答えます。

ずいぶん思い切ったことを言うものだ。
だが、やめるというのは簡単すぎる。
本当に難しいのは、志を持ち続けて生きることなのだ。」


本質:

このエピソードは、「柔軟に生きる」ことの価値と限界
そして孔子の“志を貫くこと”への信念を対比的に浮かび上がらせています。

  • 世の中が自分を認めないとき、「引く」「あきらめる」という判断も“賢さ”の一つかもしれない。
  • だが孔子は、「それでは世は変わらないし、人生も味気ない」と感じていた。
  • あきらめるのは、志の道から降りること。生き方そのものの否定である。

原文とふりがな付き引用:

「子(し)、磬(けい)を衛(えい)に撃(う)つ。
蕢(くわい)を荷(にな)いて孔氏の門を過(よ)ぐる者あり。曰(いわ)く、
心(こころ)有(あ)るかな。磬を撃つや。

既(すで)にして曰く、
鄙(ひ)なるかな。固(こ)たるや。
己(おのれ)を知る莫(な)ければ、斯(ここ)に已(や)まんのみ。
深(ふか)ければ則(すなわ)ち厲(ぬ)ぎ、浅(あさ)ければ則ち掲(かか)ぐ。

子曰く、
果(は)たるかな。之(これ)を難(かた)しとする末(すえ)きなり。


注釈:

  • 磬(けい) … 玉で作られた打楽器。儀礼や礼楽に用いられる。
  • 蕢(くわい) … 草製のもっこ(土や物を運ぶ器)。
  • 鄙(ひ)・固(こ) … かたくな、頑固という意味。柔軟性のなさを皮肉っている。
  • 深ければ厲ぎ、浅ければ掲ぐ … 水が深ければ衣を脱ぎ、浅ければまくり上げて渡る=柔軟に生きよ、という意味。
  • 果(はた)る … 思い切った性格、決断の早さ。
  • 之を難しとする末きなり … 本当に難しいことではない(=やめることは簡単だ)という皮肉混じりの指摘。

教訓:

この章句は、**「あきらめることは一見かしこく見えるが、それだけでは前に進めない」**という孔子の哲学を示しています。

  • 人に理解されずとも、志を捨てないこと。
  • 「続けること」の難しさと尊さ。
  • 周囲に合わせることより、「自分の人生をどう使うか」が大切である。

孔子のこの姿勢は、時に融通の利かない“頑固”に見えたかもしれませんが、
それゆえに2600年後も人々の心を打ち続けているのです。

1. 原文

子擊磬於衞。有荷蕢而過孔氏之門者、曰、「有心哉擊磬乎。」既而曰、「鄙哉、硜硜乎。莫己知也、斯己而已矣。深則厲、淺則掲。」
子曰、「果哉、末之難矣。」


2. 書き下し文

子(し)、磬(けい)を衛(えい)に撃(う)つ。
蕢(くわい)を荷(にな)いて孔氏(こうし)の門を過(す)ぐる者あり。曰(い)わく、
「心有るかな、磬を撃つや。」
既(すで)にして曰く、
「鄙(ひ)なるかな、硜硜(こうこう)たるや。己(おのれ)を知(し)る莫(な)ければ、斯(ここ)に已(や)まんのみ。
深(ふか)ければ則(すなわ)ち厲(おか)し、浅(あさ)ければ則ち掲(あら)わす。」
子曰く、
「果(か)なるかな。之(これ)を難(かた)しとする末(すえ)きなり。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)

「孔子は衛の国で磬(石の打楽器)を演奏していた」

「蕢(竹の籠)を背負った男が孔子の家の門前を通りかかり、こう言った」
→ 「お、心がこもっているな。いい音を出している。」

「しかしすぐにこう言い直した」
→ 「いや、田舎者めが──カンカン響かせてうるさい。
自分の価値を理解してくれる人がいないなら、やめてしまえばいいのに。
川が深ければ衣を脱いで渡り、浅ければまくって渡ればよいのだ。」

「孔子はそれを聞いて言った」
→ 「なんと果断な人だ。これはなかなかできることではない。」


4. 用語解説

  • 磬(けい):古代の礼楽で用いられた打楽器。石や玉で作られ、叩いて音を出す。
  • 蕢(くわい):竹で編んだ籠。ここでは荷物を背負った庶民の象徴。
  • 鄙哉(ひなるかな):田舎者め、下品なやつ、などの軽蔑的表現。
  • 硜硜(こうこう)たる:カンカンと音を響かせるさま。無意味に賑やかな様子。
  • 斯己而已矣(ここにやめんのみ):ここでやめてしまえ、という断念。
  • 深則厲(ふかければすなわちおかし):水が深ければ衣服を脱いで渡る=状況に応じて準備する。
  • 浅則掲(あさければすなわちあらわす):水が浅ければ衣をまくって渡る=柔軟に対応する。
  • 果哉(かなるかな):なんと決断力のあることか。
  • 末之難矣(これをなすはなんぞかたき):このように割り切るのは難しいことだ。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孔子が衛の国で礼楽の一環として磬を叩いていた。
そこに一人の庶民(籠を背負った男)が通りかかり、こう言った:

「おっ、心のこもったいい音じゃないか。」

しかしすぐにこう言い直した:

「いや、何をカンカン騒いでいるんだ。
自分の価値をわかってくれる人がいないなら、そんなことはやめてしまえ。
水が深ければ衣を脱いで渡り、浅ければまくればよい。
状況を見て、やるかどうかを決めるべきだ。」

それを聞いた孔子はこう言った:

「なんという決断力だ。ここまで割り切れるのは、なかなかできることではない。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、“理想に生きる者”と“現実に割り切る者”の対比を描いています。

  • 磬を奏でる孔子は、礼楽を通じて理想社会の実現を目指していたが、
    通りすがりの男は「評価されないならやめろ」と言い放つ。
  • 孔子は彼を非難せず、むしろその**現実的な割り切りと潔さ=“果断”**に感心している。
  • ここには、孔子の柔軟な価値観と他者の生き方への理解と敬意が表れている。

7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

✅「信じる理想を貫くか、割り切って手を引くか」

  • プロジェクトや信念に基づく活動でも、周囲に理解されず成果が出ないとき、継続か撤退かの判断が迫られる。
  • 孔子のように貫くのも一つ、男のように割り切って撤退するのも一つ──
    両方の選択に価値があることを認めよう。

✅「“やめる”という判断にも、勇気と決断力がある」

  • 途中で退く決断を「逃げ」ではなく、“果断”として称賛する視点が現代にも必要。
  • 成果主義・継続偏重の風潮の中で、「もうやめよう」という言葉が出せる文化は、持続可能性のために大切

✅「理想と現実のあいだで、“尊敬しあえる”感性を育てる」

  • 理想を追う人も、現実を生きる人も、互いに敬意を払ってこそ組織は成熟する
  • 孔子のように「異なる選択を尊重する」視座を持つことが、リーダーには求められる。

8. ビジネス用の心得タイトル

「貫くもよし、退くもまた勇──理想と現実、どちらも果断に」


この章句は、**“理解されない中で理想を追うこと”と、“見切りをつけて行動を変えること”**の間に
明確な優劣をつけず、どちらにも“価値ある人間の判断”があることを示しています。

「続ける者」と「去る者」が、互いを尊敬できる組織こそが、
多様性と持続性のある、真の強い組織なのです。



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