■ 引用原文(『ダンマパダ』第八章「ことば」第四偈)
この世で博に負けて財を失う人でも、
その不運はかなものである。
しかしこの世で完全に達した人々(聖者たち)に対して
悪意をいだく人の罪(不運)は、まことに重いのである。
■ 逐語訳
- 博に負けて財を失う人でも:賭け事などの偶然によって金銭を失う者は、
- その不運は かなものである:「限定的で一時的」である。
- 完全に達した人々(聖者たち):煩悩を断ち、真理に到達した覚者(阿羅漢など)。
- 悪意をいだく:内心で憎んだり、害意をもつこと。
- その罪(不運)はまことに重い:その結果は極めて大きく深刻な報いとなる。
■ 用語解説
- 博(ばく):賭博。運や偶然に依存した行為によって利益を狙うこと。
- 聖者(アーリヤ):真理を悟り、煩悩を断ち、輪廻を超えた存在。仏弟子や覚者を指す。
- かなもの(可なもの):大したことではない。ここでは「軽い」「比較的許容できる」程度の意。
- 悪意(ヴィーパーダ):心の中に持つ敵意・嫉妬・軽蔑など。言葉や態度に表れれば悪業となる。
■ 全体の現代語訳(まとめ)
賭博に負けて財産を失う者も確かに不運ではあるが、それは一時的なものである。
しかし、真理に到達した聖なる人々に対して悪意を持つ者の不運(罪)は、はるかに重大で、深く重い報いを受ける。
それはただの金銭的損失を超えた、精神的・道徳的破綻を意味するからである。
■ 解釈と現代的意義
この偈は、「外的損失」よりも「内的損失」のほうが深刻であるという倫理観を明示しています。
たとえ財産を失っても、それはまた取り戻すことができる。しかし、自分よりも高潔である者への悪意――それは、無知と驕りから生まれる重大な精神的過ちであり、自己の徳を著しく損ないます。
現代においても、誠実な人・知恵ある人を妬んだり否定したりする言動は、単なる「嫌味」や「陰口」では済まされない重大な信頼の毀損行為であり、その人自身の品性や未来を損ねる行為です。
■ ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
人徳ある人物への敬意 | 経験や功績のある人物を軽視・侮辱する発言は、周囲の信頼を失い、自らの品位を下げる結果につながる。 |
内面の姿勢の重要性 | たとえ言葉に出さなくても、尊敬を欠いた態度や表情・対応は、相手にも伝わり、信頼関係を壊す。 |
組織文化 | 他者の成功や成熟を素直に認める文化を持つ企業は成長し、嫉妬や批判が蔓延する組織は内部崩壊を招く。 |
学ぶ姿勢 | 尊敬に値する人物から学ぼうとせず、批判ばかりする者は、自ら成長の機会を放棄している。 |
■ 心得まとめ
「財を失っても再び立てる。だが、徳を失えば立ち戻れぬ」
この偈は、真に守るべきものが「外の富」ではなく、「内の敬意・品性」であることを教えています。
財産を失ってもそれは可逆だが、誠実さや尊敬を欠いた言動は、信用と人格を傷つけ、回復不能な損失となります。
ビジネスの現場でも、実績ある人・志高い人への敬意を忘れず、そこに学びと感謝の姿勢を持ち続けることが、成功の基盤を築くのです。
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