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不遇とは、天が託した役割のあらわれかもしれない

孔子が儀(ぎ)の国境を通過する際、そこの役人が「君子がこの地を通るとき、必ず拝見している」として、孔子との面会を求めた。
面会ののち、役人は弟子たちに向かって語った。
「皆さんは先生が世に受け入れられていないことを嘆いているようだが、心配にはおよばない。
今、天下には道(みち=正しい政治)がなくなって久しい。天はまさに先生を『木鐸(ぼくたく)』とし、諸国を巡って正しき教えを広めさせようとしているのだ」と。

「二三子(にさんし)、何(なん)ぞ喪(うしな)うを患(うれ)えんや。天下(てんか)の道(みち)無(な)きや久(ひさ)し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以(も)って木鐸(ぼくたく)と為(な)さんとす」

志ある者が世に受け入れられないのは、天がより大きな役割を与えようとしているからかもしれない。
巡り歩くのは流浪ではなく、使命である。


※注:

  • 「儀(ぎ)」…衛の地方。孔子が各国を遊説していたときに立ち寄った地。
  • 「喪う」…ここでは政治的な地位や仕官の機会を失うこと。
  • 「木鐸(ぼくたく)」…鐘の一種で、儀礼や教化の際に鳴らして民に知らせる器。転じて、世の中に道を説く存在を指す。
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