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乱れた行いに、大いなる果報は実らない


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📜 引用原文(日本語訳)

第二二章 地獄 三一二偈
その行ないがだらしがなく、身のいましめが乱れ、清らかな行ないなるものも怪しげであるならば、大きな果報はやって来ない。
――『ダンマパダ』第二二章「地獄」三一二偈


🔍 逐語訳

  • 行ないがだらしがなく:規律に欠け、節度のない行動をしていること。
  • 身のいましめが乱れ:身体的な行動においても、戒律や規範が保たれていない状態。
  • 清らかな行ないなるものも怪しげ:表面上は清らかそうに見える行為でさえ、内実は疑わしく、偽善的である。
  • 大きな果報はやって来ない:そうした生き方では、人生における真の成果・恩恵・幸福は得られない。

🧩 用語解説

  • 果報(かほう/パーラ):仏教でいう「因果応報」の結果。善行には善果、悪行には悪果がある。
  • 清らかな行ない(パリッダチャリヤー):欲や怒り、欺瞞を離れた誠実で純粋な行為。
  • 怪しげ:本質的な誠実さがなく、偽善・演技・欺瞞的である状態。

🗣️ 全体現代語訳(まとめ)

いくら立派な言葉や振る舞いをしていても、日々の行動がだらしなく、身体の律し方が乱れていれば、その人の「清らかそうに見える行い」も信用されず、本当の成果(果報)には至らない
善行も誠実さと一貫性をもって実践されなければ、空虚なパフォーマンスに過ぎない。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、「形式ではなく実質」こそが結果を生むという厳然たる真理を教えています。
外見だけを整えても、日々の生活や仕事でだらしなさ・不誠実さがあれば、それは次第に露呈し、やがて信頼・成果・幸福のすべてを遠ざけることになります。

逆に言えば、地味でも、日々の行動が一貫して誠実であることこそが、確かな果報につながるのです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
信頼構築見た目やプレゼンは立派でも、日常業務でだらしない対応をしていれば信頼は積み上がらない。
組織文化表向き「理念」や「ミッション」が立派でも、行動が伴っていなければ社員の心には響かない。
成果への道筋成果とは、派手な言葉よりも、日々の小さな誠実な行動の積み重ねで得られる。
内外の一致社外に向けたブランディングと、社内の実態(コンプライアンスや労務姿勢など)に一貫性がなければ、やがて信頼は崩壊する。

🧘 心得まとめ

「誠実な行いのない者に、誠実な果報は実らない」

日々のだらしない行為や誤魔化しの積み重ねは、やがて人生の重要な局面で表面化し、大切な信頼や成果を逃す原因となる。
正しい姿勢・正しい動機・正しい行い――この三つが整ってこそ、大きな果報は自然と訪れるのです。

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