■引用原文(書き下し文付き)
原文:
所謂脩身在正其心者、身有所忿、則不得其正、
有所恐懼、則不得其正、
有所好楽、則不得其正、
有所憂患、則不得其正。
心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味、
此謂脩身在正其心。
書き下し文:
いわゆる「身を脩むるはその心を正すに在り」とは、
身に忿(いか)るところ有るときは、すなわちその正を得ず。
恐懼するところ有るときは、すなわちその正を得ず。
好楽するところ有るときは、すなわちその正を得ず。
憂患するところ有るときは、すなわちその正を得ず。
心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。
これを「身を脩むるはその心を正すに在り」と謂う。
(『礼記』大学 第三章)
■逐語訳(一文ずつ)
- 「自らの身を修めるには、まず心を正すことだ」という言葉の意味は──
- 自分の中に怒りがあれば、正しい状態を保てない。
- 恐れがあれば、正しくはなれない。
- 楽しみや好きなことに囚われても、正しさを保てない。
- 憂いや不安があっても、心は正しくいられない。
- 心がそこになければ、見ても見えず、聞いても聞こえず、食べても味がわからない。
- これこそ「修身は心を正すことにある」という教えである。
■用語解説
- 修身(脩身):自分の行動・在り方・人格を整えること。儒教における基盤の徳。
- 正心:心を偏らせず、平静で公平な状態に保つこと。
- 忿(ふん):怒り。感情の爆発によって判断が乱れる状態。
- 恐懼(きょうく):恐れや不安。萎縮や怯えからくる不均衡。
- 好楽(こうらく):快楽・好きなものへの執着。偏った期待や欲望。
- 憂患(ゆうかん):悩み・苦しみ・憂い。不安定さの源。
- 心不在焉(しんふざいえん):心が「そこにいない」状態。集中していない・注意散漫。
■全体の現代語訳(まとめ)
「自分を正しく律するには、まず心の状態を整えることが肝要だ」というのは、怒りや恐れ、欲望、悩みに心が支配されてしまうと、冷静な判断や正しい行動ができなくなるということを意味している。
心が乱れていては、物を見ても正しく理解できず、人の言葉を聞いても真意が伝わらず、食事すら味がしない。
つまり、心の在り方がすべての行為と判断の土台であり、それが整ってこそ「修身」が可能になる。
■解釈と現代的意義
この章は、**「心のコンディションが外の世界の認識と行動の質を決める」**という本質的な知恵を説いています。
怒り・恐れ・執着・憂いといった感情は、一時的に見れば些細なことに見えるかもしれませんが、それらが「視野・聴覚・味覚」すらも奪うことを、身体感覚の比喩を通して語っています。
現代人がマルチタスクや情報過多の中で揺らぐ「集中力」や「情緒的安定」の大切さを、古代の言葉で見事に言い当てています。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
意思決定の基礎力 | 怒りや恐れに支配されている状態では、判断がぶれ、誤った決断を下しやすい。冷静さを保つ「正心」がリーダーの資質。 |
顧客対応・交渉術 | 相手の言葉や表情の「本質」を捉えるには、先入観や感情を排し、集中して聞く力が必要。「心がそこにあるか」が鍵。 |
セルフマネジメント | メンタルの安定は生産性の基盤。まず「怒・恐・欲・憂」を観察・制御する習慣を整えることで、成果も整う。 |
人材育成・教育 | 技術や知識よりも、「心の整え方」を教えることが、持続可能な人材を育てる本質的教育になる。 |
■心得まとめ(ビジネス指針)
「心を整えずして、成果は整わない」
どれほど優れた能力も、心の乱れがあれば機能しない。冷静・誠実・平静な心が、全ての行動と成果の出発点となる。
この第三章は、「修身」の中心軸としての「正心(心の安定・誠実さ)」を強調する重要な章です。
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