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道を悟ることができたなら、命の長さに悔いはない

生の価値は、どれだけ「生きた」かにある

孔子は、生きる時間の長さよりも、生きる意味を見出すことの方が大切だと説いた。
もし朝に、自分が生きるべき「道」――人として進むべき正しい在り方、真理――を聞くことができたなら、
その日の夕方に命を終えても、もはや思い残すことはない。
それほどに、「道」を知るということは人生にとって重大で本質的な出来事なのだ。
人は誰しも死を避けられないが、自らの志を全うしようとする中で倒れたなら、それは敗北ではなく完成である。
孔子の言葉には、時間よりも「どう生きたか」を重んじる哲学がこめられている。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、朝(あした)に道(みち)を聞(き)けば、夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり。

もし朝に真の「道」を得られたなら、
その夕べに命尽きても、それは満ち足りた人生である。


注釈

  • 道(みち)…ここでは「人生における真理」「人としての正しい在り方」「仁の実践的な形」などを指す。
  • 聞く(きく)…ただ情報を得るのではなく、心から理解し、腑に落ちること。悟るに近い。
  • 夕に死すとも可なり…それほどの満足感と到達感があれば、死を恐れずに受け入れられるという意。
  • この一句は、道の価値の深さと、生き方の密度を問う孔子の哲学的名言として知られる。
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