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窮鳥を守る覚悟に、武士の一分が宿る


一、原文と現代語訳(逐語)

原文抄(聞書第八)

この度の駆込者の儀は、鍋島の家に懸り申す事に候。
助右衛門を人と存じ、相頼み候を、我が身難儀に及び候とて差出し候ては、侍の一分立ち申さず候。
某一命に替へ申す覚悟にて候。大炊頭様御意と候ても、この儀はしかと承引仕らず候。

現代語訳(逐語)

今回の駆け込み者の件は、鍋島家の名に関わる大事です。
助右衛門という人間を信じて頼ってきた者を、自分に難が及ぶからといって引き渡すようでは、侍の一分が立たなくなります。
私は、この件には命を懸ける覚悟です。たとえ藩主のお言葉であっても、この件だけは承服できません。


二、用語解説

用語解説
駆込者(かけこみもの)切迫した状況から逃れて、頼れる者のもとに逃げ込んできた者。いわゆる「窮鳥」。
一分(いちぶん)武士としての面目・誇り・信義。たとえ命よりも重いとされるもの。
御意藩主や高位の者の意向・命令。
懐(ふところ)に入る頼ってきた者を受け入れる意。古くから「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の故事に基づく情理。

三、全体の現代語訳(まとめ)

深江助右衛門は、仕えていた土井家の家中で騒動を起こした者が自らの長屋に逃げ込んできたとき、それを匿った。
その者が「助右衛門なら助けてくれる」と信じて駆け込んできたのを、「自分に難が及ぶから」と引き渡すことは、武士としての誇りに反すると考えたのである。
たとえ藩主の命であっても、それには従えないという姿勢を示し、結果として助右衛門の信義が通り、後に無事に引き渡されるに至った。


四、解釈と現代的意義

この逸話の本質は、**「命令と人情の狭間で“信”を選んだ者の覚悟」**にあります。

  • 組織の命令(表の命)と、個人の信義(懐に入った者への情)の対立。
  • どちらを選ぶかの判断は、ただの「規律遵守」や「温情主義」ではなく、人としての覚悟=一分にかかっている。

現代でも、信頼して自分を頼ってきた部下や顧客・仲間を「自分の損失や立場保全のために見捨てる」ような事例は少なくありません。
助右衛門はそれを良しとせず、「頼ってきた者を守ることが、自分の誇り」であると行動したのです。


五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)

項目解釈・適用例
リーダーシップ自分を頼ってきた部下やチームを、状況が悪化しても見捨てない覚悟が、リーダーの信頼をつくる。
危機対応マニュアルや命令通りでは済まされない「信義」の判断が求められる場面でこそ、人格が問われる。
顧客対応トラブル時に「自己保身」に走らず、顧客の信頼に応える姿勢が、企業価値の礎となる。
組織文化「困ったときに守ってくれる文化」は、心理的安全性を育み、結果として組織の強さにつながる。

六、補足:助右衛門のその後に見る“忠義の完成”

助右衛門はこの一件ののち、奥方(お仙様)が若くして亡くなると、仏門に入り、七年喪に服すという徹底した“忠”を貫きました。

  • 窓のない庵にこもり
  • 穴から食事を受けるという生活

これは、単なる悲しみや形式ではなく、**生涯をかけた「仕えきる覚悟」**の表れであり、『葉隠』の忠義観の極致を体現したものです。


七、まとめ:この章句が伝えるメッセージ

  • 困って頼ってきた者を守るのが、真の誠意である。
  • 自身の損得を越えた「一分」が、人としての誇りを支える。
  • 組織の命令すら越えて守るべき信義がある。
  • 信を貫く者にこそ、やがて信が返ってくる。

目次

🔚現代への置き換え:

「頼られたその時、応える覚悟があるか」――それが、信頼される人間かどうかの分かれ目である。


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