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志なき学び、行いなき言葉、私利の事業は、すべて空虚に終わる

学び、職に就き、教え、事業を起こす——これらすべては、世の中の役に立つという根本がなければ、真の価値を持たない。

聖賢の心に触れることなく、表面的に書を読む者は、ただの文字の奴隷に過ぎず、学問の本質を見失っている。
人々の暮らしを顧みずに役所に勤める者は、ただの「衣冠(いかん)の盗」すなわち給料泥棒である。
立派な言葉を並べても、身をもって実践しなければ、口先だけの人間で終わる。
そして、利己的な目的で起こされた事業は、どれほど派手であっても、目先の美しさに過ぎず、やがて枯れる。

「何のために学び、働き、生きるのか」。
その答えが「人のため、徳のため」でなければ、すべては薄く、そして儚い。


原文とふりがな付き引用

書(しょ)を読みて聖賢(せいけん)を見(み)ざれば、鉛槧(えんけん)の傭(よう)と為(な)る。
官(かん)に居(お)りて子民(しみん)を愛(あい)せざれば、衣冠(いかん)の盗(ぬす)びとと為(な)る。
学(がく)を講(こう)じて躬行(きゅうこう)を尚(たっと)ばざれば、口頭(こうとう)の禅(ぜん)と為(な)る。
業(ぎょう)を立(た)てて種徳(しゅとく)を思(おも)わざれば、眼前(がんぜん)の花(はな)と為(な)る。


注釈(簡潔に)

  • 鉛槧の傭(えんけんのよう):鉛筆と書板を使うだけの読書奴隷。中身を理解しない、見かけだけの読書。
  • 衣冠の盗(いかんのぬすびと):立派な服装(官位)をしていながら、人々のために働かない公務員。給料泥棒の意。
  • 口頭の禅(こうとうのぜん):口だけの修行者。理屈ばかりで実践しない人。
  • 種徳(しゅとく):未来のために徳の種をまくこと。公共性・公益性。
  • 眼前の花(がんぜんのはな):目先は華やかでも長く続かない。真の価値がない事業の喩え。
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