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外を飾っても、心が濁っていては意味がない


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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第6偈)

愚か者よ、螺髪を結んで何になるのだ。
かもしかの皮をまとって何になるのだ。
おまえは内に密林(=汚れ/穢濁)を抱え、
外側だけを飾っているにすぎない。
――『ダンマパダ』第33章 第6偈/6A偈


🔍 逐語訳(意訳)

おろかなる者よ、
髪をねじり、聖者のように束ねたところで、何の意味があるのか?
聖なる印のごとき鹿の皮をまとうことに、何の意義があるのか?
おまえの内には、いまだに**穢れ(密林)**が満ちている。
見かけだけを飾るその行為は、悟りとは無縁である。


🧘‍♂️ 用語解説

  • 螺髪(らほつ):修行者や仏像に見られる巻き髪。ここでは「聖なる外見の象徴」としての意味。
  • かもしかの皮:伝統的な修行者がまとう聖なる衣の象徴。苦行の印でもある。
  • 密林(アランニャ):比喩的に、心の中にうごめく煩悩・混乱・穢れの象徴。
  • 愚か者(バールカ):知識があるかどうかではなく、「智慧」が欠けた者。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

見た目だけを修行者らしく整えても、心の内に穢れや欲望を抱いたままであれば、何の意味もない。
真の修行とは、髪型や衣装ではなく、「内面の汚れを清めること」にある。
仏陀は、外見で偽る偽善の危うさを鋭く指摘している。


🧭 解釈と現代的意義

この偈は、「形だけの信仰・ポーズだけの徳」に対する強烈な批判です。
現代でも、立派な肩書きや言葉遣い、マナーやブランドを身につけたとしても、内面に誠実さ・清らかさ・正直さがなければ、それは虚飾に過ぎないのです。

真に尊敬される人とは、装いによってではなく、行動と心の在り方によって評価されるべきです。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点応用・実践例
見せかけの経営者像の危険高級スーツやスローガンを掲げても、社員や顧客への態度に誠実さがなければすぐに見抜かれる。
肩書きへの過信マネージャー、リーダーという役職にふさわしい「内面の清潔さ」がなければ信頼されない。
誠実なブランド形成パッケージや広告に力を入れるより、まずは商品・サービスの中身を磨く姿勢が本物のブランドを作る。
チームづくりとリーダー像見た目や言葉でチームを支配するのではなく、自らの一貫した誠意ある行動で導くことが必要。

💡 感興のことば:心得まとめ

「着飾った聖者より、黙して誠実な人が尊い」

どんなに見かけを繕っても、
心の中に誠実さ・慈しみ・清らかさがなければ、
それはただの“外面信仰”にすぎない。
仏陀の教えは、本物は外ではなく内に宿ることを思い出させてくれる。

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