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新規事業の方向を決める

「販売戦略」篇で登場した日本航空電子の沼本社長が再び姿を見せる。昭和29年、極東空軍との修理およびオーバーホール契約をなんとか取り付け、会社の基盤がようやく整った。しかし、沼本社長は立川に足繁く通いながらも、修理やオーバーホールだけでは限界があると痛感していた。メーカーとしての道を切り開かなければ、未来はないと強い決意を抱いていたのである。では、次に何に取り組むべきか──その問いが彼を突き動かしていた。

考え抜いた末、沼本社長はメーカーとして進むべき基本方針を明確に定めた。その内容は以下の五項目にまとめられる。

  1. 事業の範囲を航空機用電子機器の修理・オーバーホールおよびエレクトロニクス用部品の生産に限定すること。
  2. 大規模な資本を必要としない事業であること。
  3. 国家や社会が求めるものであり、新しい技術を必要とし、将来性のある事業であること。
  4. 利潤は比較的低いものに限定すること(ここに特に注目)。
  5. 高度な技術を必要とし、その製品が航空機用途にとどまらず、幅広い一般的応用が可能であること。

これらの方針は、驚くほど簡潔で実用的だ。「ユニークなもの」などといった曖昧な表現を避け、具体性を持たせている点が特徴的だ。方針とは実際の活動を導く羅針盤である以上、抽象的では役に立たない。沼本社長が提示したこの五つの指針は、その実践力の高さを物語っている。

この方針の中で、読者が首をかしげるであろう項目が一つある。第四項、「比較的利潤が低いこと」だ。普通、利潤の低さをあえて掲げる経営方針には違和感を覚えるかもしれない。しかし、沼本社長の考えは実に論理的だ。利潤の大きな分野には必ず大企業が参入してくる。一方、利潤が低い分野には大企業の興味が向きにくい。だからこそ、そこを狙うという発想である。

だが、利潤が低い分野を選べば、今度は中小企業同士の過当競争が避けられない。その問題を解決するために、沼本社長は「中小企業には真似できない高度な技術を必要とするもの」という条件を加えたのだ。この一手で、競争を技術力の優劣に移し、他社との差別化を図るという巧妙な戦略が完成したのである。

この五つの基準に基づいて導き出された最初の製品がコネクターだ。そして、その製品化にあたりアメリカのキャノン社との技術提携が実現した。この提携を足掛かりに、日本航空電子はコネクター事業を一気に拡大させる。

現在では、航空機、宇宙ロケット、特急列車など、極めて高い精密性を求められる分野において、同社のコネクターは業界トップの地位を築いている。この結果こそが、当初に定めた基準の有効性を証明していると言えるだろう。高度な技術、将来性、そして独自性の三拍子が揃った成功例だ。

沼本社長が会社の未来を見据え、研究開発部門を設立したのは創業二年目、昭和31年のことだ。当時の日本航空電子はまだ経営基盤が脆弱で、研究開発費を捻出する余裕など到底なかった。それでも沼本社長はあえて挑戦を選び、部門発足時には「向こう五年間、資金的な制約は一切設けない。安心して研究開発に専念してほしい」と研究者たちに檄を飛ばした。

これは、当時としては大胆すぎる決断だった。資金繰りが厳しい中、短期的な利益を度外視してでも技術力の向上を最優先するという沼本社長の信念がそこにはあった。このような覚悟と投資が、後の日本航空電子の発展を支える土台を築いていくことになる。

沼本社長が最も危惧していたのは、ライセンス生産に依存することで、技術者が本来の使命である開発を放棄してしまうことだった。彼はこう語っている。「乞食は三日するとやめられないというが、外国から借りた技術でも、それが安上がりで企業に利益をもたらすならば、日本の経営者は安易なライセンス生産の道に流れ込んでしまう。」

この言葉には、借り物の技術に頼るだけでは真の技術力が育たないという警鐘が込められている。沼本社長にとって、ライセンス生産は短期的な利益にはつながるものの、長期的には企業の独自性や競争力を失わせる危険な選択肢だった。だからこそ、彼は自社での開発にこだわり、技術者たちが挑戦し続ける環境を作ることに全力を注いだのである。この姿勢が日本航空電子の基礎を支える重要な原動力となった。

「これでは日本の航空技術は、いつまでも外国企業に従属するだけで終わってしまう。特に、我々のような中小企業が大企業に肩を並べ、航空電子のような最先端技術分野で戦っていくためには、独自の専門技術を持たなければ、独立性を維持することはできない」と沼本社長は語る。

この言葉には、技術力への強い信念と、自立を目指す企業の気概が詰まっている。単に利潤を追い求めるのではなく、技術を磨き続け、独自性を確立することで初めて、企業としての真の価値が生まれるという理念だ。日本の中小企業がグローバルな競争で存在感を示すために、これほど的確で高尚な指針があるだろうか。沼本社長のこの思想は、単なる経営戦略を超え、技術者精神そのものを体現している。

五項目の方針に基づき、次に取り組んだのがジャイロの事業だった。これが同社の地位を不動のものとした。ハネウェル社との技術提携の経緯は「販売戦略」篇で詳述した通りだが、まさに沼本社長の「体当たり経営」を象徴する一例といえる。

優れた経営理念、明確なビジョン、執念、そして体当たりの精神を備えた沼本社長は、社長としての理想的な姿勢を示し、私たちに多くの教訓を残している。同じように、静岡県清水市のスター精密の創業者・佐藤社長も、事業を始めるにあたり、まず清水市という立地条件に着目し、カメラや時計の精密ネジの製造からスタートした。この地理的視点が、後の発展の基盤となったのである。

清水市で事業を始めても、主要な得意先は東京、大阪、名古屋といった都市になる可能性が高い。その際に重要なのが運賃の問題だ。安易な思いつきで事業を始めてしまえば、後々大きな負担となる可能性がある。これを慎重に検討した結果、佐藤社長が選んだのは時計とカメラ用の精密ネジだった。胡麻粒ほどの小さなネジであれば、何十万個を出荷しても重量や嵩の問題が生じない。この選択が見事に成功し、超優良企業スター精密の基礎を築いたのである。

大企業の中でも有名な戦略に、鐘紡の「ペンタゴン作戦」がある。これは、伊藤淳三社長が掲げた「鐘紡の未来像」に基づくものだ。同社の事業を繊維、化粧品、薬品、食料品、住宅の五分野に分け、それぞれの年商目標を2,000億円、総計で1兆円に設定した。この「五つの柱」にちなみ、アメリカ国防総省の五角形の建物「ペンタゴン」に名を借りて「ペンタゴン作戦」と名付けられたのである。

ペンタゴン作戦は、繊維業界をはじめとする長期不況の影響を受け、必ずしも順調に進んでいるとは言えない。しかし、事業には好調な時期もあれば不調な時期もあるのが常だ。この戦略も、長期的な視点で見れば、鐘紡の多角化と成長を支える重要な柱としての役割を果たすだろう。

不況の影響で思うように進まないからといって、ペンタゴン作戦を失敗と断じるのは早計だ。困難に直面したとしても、基本方針を軽々しく変えるべきではない。重要なのは、執念を持って目標達成に向けた努力を粘り強く続けることだ。この一貫した姿勢こそが、長期的な成功への鍵となるのである。

「我が社はどんな事業を展開するのか、現在の事業をどう進化させていくのか」という問いは、企業の根幹を成す命題だ。これを決定することで、その企業の方向性が根本的に定まり、未来の姿を形作るからである。

構造不況の象徴ともいえる繊維業界にあっても、日清紡はしっかりと利益を上げている。その理由は、同社の商品が発展途上国の安価な製品と競合しない独自のポジションを築いているからだ。

これは、綿紡大手三社に比べて規模の小さい日清紡が、自らの進むべき道を的確に定めた結果である。それに加え、宮島清次郎、桜田武、露口達という三代にわたる名経営者たちの懸命な努力が、現在の日清紡を支えていることは言うまでもない。

同じ繊維業界でも、不況の影響をものともせず、高収益を維持し続けている中小企業がある。それが、「経営戦略」篇で紹介した江南市のハイネスだ。この成功は、倉橋社長が掲げた高級品指向という事業方針が、中小企業として的確だったことに他ならない。

E社は従業員50人にも満たない小規模な企業ながら、ラミネート包装資材を主力とし、驚異的な高業績を達成している。その鍵となるのが、F社長の「マーケットの小さなものを狙う」という独自の事業方針だ。多くの小企業が大きなマーケットを目指す中で、小さな市場に特化する姿勢は見事というほかない。F氏自身も、「大きなマーケットなんて馬鹿らしくて全然興味が湧かない」と語っており、その哲学が成果につながっている。

「社長の条件=人間社長学篇」で紹介した料亭錦は、料理を桜宿膳一本に絞り込み、味の追求と接客サービスに徹底的にこだわるという基本方針で大成功を収めている。

以上の例からも明らかなように、企業にとって事業方針がいかに重要であるかは一目瞭然だ。社長は、誤りのない事業方針こそが企業の運命を根本から左右することを深く理解し、自らの手でその基本方針を明確に定める責任を負うのである。

基本方針を定めた後は、その方針に従いつつ、客観的な情勢の変化に対応し、どのような新事業や新商品を開発すべきかを判断し、それを推進していくことが社長の役割である。

新規事業の方向を決定するためには、企業の基盤と将来を左右する事業方針を慎重に考え抜くことが必要です。以下の例から、成功する事業方針の要素を見ていきます。

1. 事業方針の明確化

  • 日本航空電子の沼本社長の例では、具体的かつ明確な5つの基準をもとに事業の方向を定めています。この指針がコネクターやジャイロなどの新規事業で成果を上げ、企業の地位確立に貢献しました。抽象的な表現を避け、実行可能で現実的な方針を立てることが、長期的な成長の土台となります。

2. 競争と収益性のバランス

  • 沼本社長は「比較的利益が低い」市場を選ぶことで、大企業との競争を避けていますが、同時に中小企業にはできない高度な技術を強みとしています。このように、収益と競争リスクのバランスを考え、競合に対抗しやすいポジションを取ることが重要です。

3. 市場の特性に合った製品選定

  • スター精密のように、物流コストを考慮して小型製品に焦点を当てるなど、事業の地理的条件や市場特性に合った製品やサービスを選定することが重要です。立地条件や輸送費なども視野に入れることで、競争力を高め、収益性を向上させます。

4. 大規模市場よりも小規模・ニッチ市場を狙う

  • 小規模企業のE社の例では、ラミネート包装資材のような小さなマーケットを狙うことで競争を避け、高収益を実現しています。小さな企業ほど、市場の規模が小さい方が大手の競合が少なく、占有率を高めやすいため、安定した利益を得やすくなります。

5. 長期的なビジョンと執念

  • 鐘紡の「ペンタゴン作戦」のように、複数の事業分野で成長を目指す際には、一時的な不況や挫折に屈せず、根気よく目標達成の努力を続けることが必要です。事業の方針は短期間で変えるべきものではなく、長期的な目線で進めるべきです。

6. 客観情勢に適応し、柔軟な事業展開を

  • 社長は、設定した基本方針をもとに、社会情勢の変化に応じた柔軟な判断が求められます。常に市場の動向や顧客のニーズを把握し、タイミングよく新事業や商品開発に乗り出すことが重要です。

まとめ

誤りのない事業方針を設定することで、企業の運命が大きく左右されます。新事業に進出する際は、抽象的な概念ではなく、具体的で現実的な方針に基づき、冷静かつ柔軟に事業を展開していくことが成功への鍵です。

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