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悪を断じてこそ、真の道に立つ


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■引用原文(日本語訳)

頭を剃ったからとて、身をつつしまず、偽りを語る人は、〈道の人〉ではない。
大きかろうとも小さかろうとも悪をすべてとどめた人は、
諸の悪を静め滅ぼしたのであるから、〈道の人〉と呼ばれる。

―『ダンマパダ』第11章 第14偈


■逐語訳

  • 頭を剃ったからとて、〈道の人〉ではない(na muṇḍakena samaṇo):外見的に出家の姿をしていても、それだけでは修行者ではない。
  • 身をつつしまず、偽りを語る者(abbato alikaṁ bhaṇe):節制を欠き、嘘を語る者は道の人ではない。
  • 大きかろうとも小さかろうとも(sabbaṁ pāpaṁ pahāya):大小すべての悪を断ち切った者、
  • 諸の悪を静め滅ぼした人(anupubbaṁ visodhitaṁ):段階的に心を浄化し、悪を完全に鎮めた者は、
  • 〈道の人〉と呼ばれる(samaṇo ti pavuccati):その人こそが、本当に“修行者”と呼ばれるにふさわしい。

■用語解説

  • 〈道の人〉(samaṇa):仏道を歩み、内面の清浄さと自制をもって生きる実践者。単なる形式や名ばかりではない。
  • 悪(pāpa):仏教における「身・口・意」による不善なる行い。小さなものも積み重なれば大きな業(カルマ)となる。
  • 静め滅ぼす(visodhitaṁ):心を清め、悪しき習慣・反応・衝動を鎮めて断ち切ること。

■全体の現代語訳(まとめ)

仏陀はここで、「見た目や儀礼で〈道の人〉を名乗っても、節度なく嘘を語るようでは真の修行者とは言えない」と説いています。
本当の修行者とは、大きな悪も小さな悪も見逃さず、それらを自らの内において静かに断ち滅ぼした者である、と語っています。


■解釈と現代的意義

この偈は、前偈(第13偈)を受け継ぎ、「形ではなく本質」「言葉ではなく行い」「大きな善だけでなく小さな悪を見逃さない姿勢」が、道を歩む人間の本質であると示しています。
現代でも「バレなければいい」「小さなことだから」といった感覚が広がる中、この教えは**「小さな不誠実が積み重なれば、真理の道から遠ざかる」**という警鐘でもあります。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点現代ビジネスでの適用例
小さな不正・逸脱への感度交通費の不正申請、納期のごまかしなど“些細なズレ”も積もれば信頼崩壊につながる。
品質管理と倫理大きなミスだけでなく、小さな見逃しや妥協を許さず、「完全に静める」姿勢が本質的な品質を生む。
リーダーの誠実さ自分に甘く、他人に厳しいリーダーは信頼を失う。小さな非倫理的行動も自己点検が必要。
社会的信頼と継続性信頼される企業・個人とは、「見えないところ」での誠実さを持ち、悪を避け続ける者である。

■心得まとめ

「小さき悪を断つ者こそ、真に大いなる人なり」

仏陀は、見た目や立場でなく、「日々の細部において誠実である者」こそが〈道の人〉であると教えています。
小さな不正・虚偽・怠惰を放置せず、静かに、誠実に、それを断ち続ける意志こそが、本当の修行であり、信頼を築く力なのです。
現代の私たちもまた、「大きな理想」だけでなく、「小さな誠実」によって、真の道に立ち続けることが求められています。


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