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成長は“今の場所”を出る勇気から始まる


一、原文の引用

人のたけは、九分十分と申し候へども、何段ほどこれあるものに候や、無量のものなり。これまでと思ひ一つ所に滞り自慢などする事、なかなか卑き位なり。歌に、
いづくにも心とまらば住みかへよ ながらへば又もとの古里
かくの如くに、また住みかへ住みかへせずしては、人並にもなるまじく候。我がたけ少し上り候時ならでは、無量事は存ぜぬものなりと。


二、現代語訳(逐語)

「人の能力というものは、九分・十分だなどといわれるが、実のところ、どれほど高められるかは、限りないものだ。
それなのに、これくらいで十分だと思って、ひとつところにとどまり、得意になってしまうようでは、かえって卑しい境遇に落ち込むことになる。

こういう歌がある:
『どこであろうと心がとどまるようならば、思い切って住み替えよ。生きていれば、また元のふるさとに戻ることもあろう』

このように、安住せずに場所を移し、環境を変えていかなければ、人並みにもなれない。
自分の器量が少しでも高まったときに初めて、人間の能力には限りがないことを知るのである。」


三、用語・語句の解説

用語・表現解説
たけ(丈)身の丈。ここでは「人の器量」や「能力」を指す。
九分十分ほぼ完成の意。「もう十分だ」という慢心を示す言葉として登場。
住みかへよ移り住め、転じて「執着せず環境を変えよ」とも読める。
ながらへば「長らえれば」。生きていればまた元に戻れるかもしれないという含意。

四、全体の現代語訳(まとめ)

人間の能力は、測りきれないほど伸びしろがある。
それなのに、「もうこれくらいでいい」と満足して同じ場所にとどまり、自慢しているようでは、むしろ卑しい。

歌にあるように、「どこであっても心がとどまるならば、思い切って環境を変えよ。生きていれば、また元の場所に戻れることもある」。
このように、安住を拒み、常に自分の場所を変えながら前に進まなければ、凡人の域すら超えられない。
人は、自分がほんの少し高みに達したときにはじめて、「人間の可能性は無限である」と気づくことができるのだ。


五、解釈と現代的意義

1. 成長とは「変化への挑戦」から生まれる

この章は、環境の固定が人を退化させることへの警告であり、逆に、変化と移動が成長を生むという哲理です。
「住み替えよ」とは、物理的な移住に限らず、役職・習慣・人間関係・思考様式からの脱却を意味します。

2. “今の自分”を疑い続けることが力になる

自分の能力を「この程度で十分」と考えた瞬間に、それ以上の成長は止まります。
「まだ伸びしろがあるはずだ」と思い続け、内面の住み替えを続けていく者だけが、大成の可能性を持つのです。

3. 「帰れるからこそ出て行ける」勇気を持て

この歌が秀逸なのは、「生きていればまた戻れる」という逃げ道を提示していること。
挑戦に伴う不安を軽減し、“出ていく”勇気を与える一句なのです。


六、ビジネス応用(個別解説)

項目解釈・応用
キャリア形成転職・部署異動・プロジェクト変更などをためらわず、積極的に経験を住み替える。常に挑戦を選ぶことで、スキルと人脈の厚みが増す。
組織風土一つのやり方に固執するのではなく、定期的な振り返りと改善(Kaizen)が必要。「今までこれでやってきた」は、最も危険な停滞の兆候。
イノベーション創出固定観念・過去の成功体験を手放し、異なる分野の知見を取り入れる「知の越境」が重要。住み替えることで、新しい発想が生まれる。
リーダーシップ管理職ほど「自分の流儀」に安住しがち。あえて違うやり方や価値観を学ぶ姿勢が、チームに風通しをもたらす。

七、まとめ:この章が語る人生の要諦

  • “ここがゴール”と思った瞬間から、成長は止まる。
  • 今の自分に疑問を抱き、新しい場所を目指せ。
  • 変化を恐れるな、戻る場所はいつでもある。

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