孟子は、人の本性と天命について深く考察し、**「人間とは何か」そして「どう生きるべきか」**を説いた。
私たちは、食べ物の味、美しい色彩、快い音、よい香り、そして快適さや安逸を自然に求める。
これらの感覚的な欲求は、人に本来備わった“性”=本能のようなものといえる。
しかし、こうした快楽の欲求は、天命によって得られないこともある。そのため君子(教養ある人)は、これらの感覚的欲求を本性のすべてとは見なさない。
一方で――
- 父子の間の仁
- 君臣の間の義
- 客と主の間の礼
- 賢者における智
- 聖人が歩む天道
これらもまた天命に左右され、思うように実現できないこともある。だが孟子はここで、重要な逆転を提案する。
**「人は本性として仁・義・礼・智を持っているのだから、それを“命”のせいにして諦めるべきではない」**と。
つまり、君子は天命を言い訳にせず、本性に備わった徳を育て、拡充することに努力し続けるべきなのだ。
これは孟子の「性善説」の根幹にある考え方であり、人の本性には道徳的可能性が備わっており、それを実現するか否かは努力次第であると力強く説いている。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、口(くち)の味(あじ)に於(お)けるや、目(め)の色(いろ)に於けるや、耳(みみ)の声(こえ)に於けるや、鼻(はな)の臭(にお)いに於けるや、四肢(しし)の安佚(あんいつ)に於けるや、性(せい)なり。命(めい)有(あ)り、君子(くんし)は性と謂(い)わざるなり。仁(じん)の父子(ふし)に於けるや、義(ぎ)の君臣(くんしん)に於けるや、礼(れい)の賓主(ひんしゅ)に於けるや、智(ち)の賢者(けんじゃ)に於けるや、聖人(せいじん)の天道(てんどう)に於けるや、命(めい)なり。性有り、君子は命と謂わざるなり」
注釈
- 性(せい)…人に本来備わった本性。ここでは主に「仁・義・礼・智」の徳を指す。
- 命(めい)…天命。自然の摂理・神意・外的要因など、努力では左右できない部分。
- 安佚(あんいつ)…楽を求めて安らぎたいという欲求。身体的快楽。
- 謂わざるなり…~とは言わない、という意味。君子はそれを“本性”や“天命”のせいにしない。
コメント