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虚を有と見るなかれ、真理の眼を養え


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📖引用原文(日本語訳)

この世は虚妄の束縛を受けていて、
未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。
愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。
(かれらには)無が有であるかのごとくに見られている。
真理を見る人には何ものも存在しない。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第六節


🧩逐語訳

  • 虚妄の束縛:真実でないもの(幻影・錯覚)に囚われている状態。
  • 未来に変化する可能性のあるもの:常に移り変わり、実体がない現象世界(諸行無常)。
  • 愚者:智慧を欠き、欲望や無知に支配されている人々。
  • 無が有に見える:実体のないものを実在と錯覚する誤認。
  • 真理を見る人には何ものも存在しない:悟りを得た者には、すべてが空(くう)であり、執着すべき実体は存在しないことが見えている。

🧠用語解説

  • 虚妄(むもう):実体のない、空虚な幻想的存在。仏教では「世間のあらゆるもの」はこの虚妄に含まれる。
  • 無が有に見える:執着や錯覚によって、本来無であるもの(例えば財産や名声)を「確固たる実在」と信じ込む様子。
  • 空(くう):すべては因縁によって成り立ち、固定した実体はないという仏教の核心教理。
  • 真理を見る人(ヴィパッサナー・ヴィジュ):洞察(観察)を通じて、世界の本質を見抜いた覚者。

🪷全体の現代語訳(まとめ)

この世は実体があるかのように見えるが、実は絶え間なく変化する「幻影」のような存在である。
無知な人々はその虚像に囚われ、煩悩によって目を曇らされ、実在しないものに価値を見出してしまう。
しかし、真理を見る者にとっては、世界には「これこそが実在である」と呼べるものは何一つない。
あらゆるものが無常で、執着すべき実体はないと見抜いている。


🌱解釈と現代的意義

この節は、私たちが「確かなもの」「頼れるもの」と思い込んでいるもの――地位・財産・成功・評価など――が、実はすべて移ろいゆく幻想であると指摘します。
「本質的には何も存在しない」とは、虚無を説いているのではなく、執着や錯覚から自由になるための智慧を説いているのです。
物事を深く見抜く力(ヴィパッサナー)をもって、移り変わる世界に惑わされない視点を養うべきであると教えています。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点実務への応用例
価値観の見直し地位や収益だけを成功と見なすことは、本質的に脆い。理念・信念に基づいた経営こそが持続可能。
変化への適応力すべては変化し続けるものと理解すれば、「変化への恐れ」が軽減され、柔軟な判断が可能になる。
執着の手放し評価・賞賛に執着せず、「今なすべきこと」に集中できる人が、最も深い貢献を果たす。
意思決定の質向上幻影を現実と見なさない洞察力が、ブームや風評に流されない経営判断を可能にする。

📝心得まとめ

「移ろうものに心を縛られるな。真に見る目を養えば、自由はそこにある」

実在と思って執着しているものの多くは、実は空(くう)である。
真理を見る眼を持てば、名声にも財産にも、恐れにも迷いにも心は動じない。
虚を見抜く知性と、執着を手放す勇気こそが、現代を生きる私たちの灯火となるのです。

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