孟子は、遊説を行う者に対して、自己の徳を尊び、義を楽しむことの重要性を説いた。栄達して名声を得ることがあっても、その態度は変わらず、自得無欲のたんたんとした心持ちでいることが大切だと孟子は言う。逆に、困窮して道を歩むことが難しい時でも、義を失わず、自分の徳を磨き続けることが必要だ。栄達しても道を離れず、困難に直面しても義を失わなければ、どんな状況でも自己を保ち、民の望みを裏切ることはない。
「孟子曰(もうし)く、子(あなた)、遊(ゆう)を好むか。吾(われ)、子に遊を語(かた)らん。人之(これ)を知るも亦(また)囂囂(ごうごう)たり。人知らざるも亦囂囂たり。曰(いわ)く、何如(いかん)して斯(これ)に以て囂囂たらんか。曰く、徳を尊び義を楽しむれば、則(すなわ)ち囂囂たるべし。故に士は窮しても義を失わず、達(え)しても道を離れず。窮しても義を失わず、故に士己(おのれ)を得。達しても道を離れず、故に民望みを失わず。古の人は、志を得れば、澤(たく)民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」
「あなたが遊説を好むならば、それについて話しましょう。人々があなたを知って、名声を得ることはあるでしょう。しかし、人があなたを知らなくても、同じように淡々としているべきです。どうすればそのように淡々とした態度を保てるでしょうか。それは、徳を尊び、義を楽しむことです。そのような士は、困難に直面しても義を失うことなく、栄達しても道を離れません。困難にあっても自己を保ち、栄達しても道を逸脱しないからこそ、民はその人物に対する望みを失うことはないのです」
自己の徳を高め、どんな境遇にあってもそれを守ることが、真の修養であると孟子は教えている。
※注:
「遊(ゆう)」…遊説、他者に自らの考えを説くこと。
「囂囂(ごうごう)」…自得無欲の淡々としている様子。
「達(え)」…栄達、成功すること。
「澤(たく)」…恩恵、良い影響を与えること。
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