孟子は、人格修養の核心が「欲を制すること」にあると語る。
その一文はきわめて簡潔でありながら、儒家倫理の真髄を突いている。
「養心(ようしん)莫(な)くして善(よ)きは寡欲(かよく)に如(し)くは莫(な)し」
→ 心を正しく養うには、欲を少なくする以上に良い方法はない。
孟子は、人の本性にある仁義の心=道徳的感受性が、欲望によって覆い隠されてしまうことをよく知っていた。
そして、欲が少ない者は、たとえ仁義の心が完全に保たれていなくとも、その欠け方は少しで済む。
一方、欲が多い者は、たとえどこかに仁義の種があっても、それは極めてわずかになってしまうと断じる。
寡欲の徳と多欲の害
- 寡欲(かよく)な人:
欲が少ないため、心が静まり、仁義が自然に保たれやすくなる。
多少欠けるところがあっても、本質から外れることは少ない。 - 多欲(たよく)な人:
欲に振り回されるため、心が混濁し、正義や慈愛がかすんでしまう。
仁義の芽があっても、それは深く埋もれてしまい、発揮されることがほとんどない。
孟子が本章で説いたのは、単なる禁欲主義ではない。
「志のある生き方」「徳のある在り方」の実現は、心の空間を欲望に占領されないようにするところから始まるという、きわめて実践的な知恵である。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、心(こころ)を養(やしな)うは、寡欲(かよく)より善(よ)きは莫(な)し。
其(そ)の人(ひと)と為(な)りや寡欲なれば、存(そん)せざる者有(あ)りと雖(いえど)も、寡(すく)し。
其の人と為りや多欲(たよく)なれば、存する者有りと雖も、寡し」
注釈
- 養心(ようしん)…心を鍛え、高め、清らかに保つこと。
- 寡欲(かよく)…欲を少なくすること。精神を整える基本姿勢。
- 存(そん)する者…仁義の本心。心の中に保持されている道徳の種。
- 多欲(たよく)…欲が多いこと。道を見失わせる原因。
※孔子も『論語』で「欲のある者は剛たるを得ず」と言い、徳の発揮には私欲を慎むことが絶対条件であると説いている。
1. 原文
孟子曰、養心莫善於寡欲。
其爲人也寡欲、雖不存焉者、寡矣。
其爲人也多欲、雖存焉者、寡矣。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、心(こころ)を養(やしな)うは、寡欲(かよく)より善(よ)きは莫(な)し。
其(そ)の人と為(な)りや寡欲(かよく)なれば、存(そん)せざる者有(あ)りと雖(いえど)も、寡(すく)なし。
其の人と為りや多欲(たよく)なれば、存する者有りと雖も、寡し。
3. 現代語訳(逐語訳/一文ずつ訳)
- 心を養うは寡欲より善きは莫し
→ 心を健やかに保つには、欲を少なくすること以上に良い方法はない。 - その人が寡欲であれば、たとえ守るべきことを欠いていても、それは少ない
→ 欲が少ない人は、たとえ欠点があっても、その悪影響は少ない。 - その人が多欲であれば、たとえ備えているべきことがあっても、それは少ない
→ 欲が多い人は、たとえ立派な点があっても、それが実を結ぶことは少ない。
4. 用語解説
- 養心(ようしん):精神・道徳・志を健やかに保つこと。内面的な修養。
- 寡欲(かよく):欲望が少ないこと。自制的、つつましさを意味する。
- 多欲(たよく):欲望が多いこと。貪欲さ、自己中心的な傾向を含む。
- 存(そん)する者:ここでは「道徳的に備わっているもの」や「守られるべき価値」の意。
- 莫善於~(~より善きは莫し):~より良いものはない。最高の方法であることを示す常套表現。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう言った:
心を養うには、欲を少なくすることが最も良い方法である。
その人が欲望の少ない人なら、多少欠点があったとしても、大きな問題にはなりにくい。
だが、その人が欲望にまみれた人であれば、たとえ立派な資質を持っていたとしても、それが活かされることは少ない。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「精神の安定と人格形成において、欲のコントロールが決定的に重要である」**という孟子の倫理観を表しています。
- 欲が少ない人は、精神に余裕があり、他者に対して誠実に接することができる。
- 欲が多い人は、知識や才能があっても、利己的な行動でそれを損なってしまう。
- 孟子は、「徳とは生まれつきよりも、いかに欲を制御するかにかかっている」と強調しているのです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「欲の少ないリーダーは信頼される」
- 出世・報酬・称賛などへの執着が強いリーダーは、周囲からの信頼を失いやすい。
- 一方で、目先の利益よりも誠実さや公共性を重んじるリーダーは、人の心を動かす。
「過剰な目標設定は、組織を壊す」
- 売上・拡大・数値目標などの“多欲”は、短期的には成果を生むが、長期的には倫理やチームワークを崩壊させるリスクがある。
- 寡欲な文化(例:必要十分の評価制度、適切な業務範囲)こそが、持続可能性を支える。
「自己制御力こそが最大のスキル」
- ハイスキルな人材でも、欲を抑えられなければ組織を乱す。
- 逆に、凡庸でも自制心のある人材は、安定感と信頼をもって貢献できる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「欲を減らせば、徳が満ちる──自制心が信頼と成果を育てる」
この章句は、「人格・信頼・判断力」の土台は、“いかに欲を抑え、心を整えるか”にあるという孟子の深い人間観を示しています。
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