親を正すことの重さと、その痛みに耐えた匡章の徳
孟子は、弟子・公都子の問いに続いて、匡章(きょうしょう)と父のあいだに起きた葛藤の真相を語る。
世間では、匡章を「不孝者」と見なす者が多かったが、孟子は彼を次のように擁護し、その行動の背後にある苦渋と誠意を解き明かす。
親子であっても「正義」を語ることには葛藤がある
孟子は言う:
「善を責むるは、朋友の道なり。
父子が善を責め合えば、それは大いに恩(親子の情)を傷つけることになる」
つまり、正義を語ること、相手を正すこと(責善)は、本来友人同士の対等な関係で行うべきものであり、
上下関係や情の深い親子間では、特に慎重でなければならないということです。
匡章の苦渋の決断
孟子は匡章の行動の背景をこう説明します:
- 匡章も当然、妻や子と共に家庭を営むことを望んでいた。
- しかし父との関係で、何か正さねばならない事があり、父に諫言(かんげん)してしまった。
- それによって父を怒らせ、共に住むことができなくなってしまった。
- 匡章はそれを深く悔い、さらに父の怒りを買わぬよう、妻を離縁し、子を遠ざけ、自らも終生、家族の世話にならぬことを誓った。
孟子はこう結論する:
「匡章の心づもりは、このようにせねば、父に対する罪はさらに大きくなると考えたに違いない。
これこそが匡章という人物なのだ」。
原文(ふりがな付き)
夫(それ)章子(しょうし)、子父(しかふ)善(ぜん)を責(せ)めて、相(あい)遇(ぐう)わざるなり。
善を責むるは、朋友(ほうゆう)の道(みち)なり。
父子(ふうし)善を責むれば、恩(おん)を賊(そこな)うの大(おお)なる者なり。
夫の章子、豈(あ)に夫妻(ふさい)子母(しぼ)の属(ぞく)を欲せざらんや。
父に罪を得て、近づくを得ざるがために、妻を出(いだ)し、子を屏(しりぞ)け、身(み)を終(お)うるまで養(やしな)われず。
其(そ)の心を設(もう)くること、以(もっ)て為(おも)えらく「是(かく)の如(ごと)くせざれば、是れ則ち罪の大なる者なり」と。
是れ則ち章子のみ。
心得の要点
- 「善を責むる」は友情の上に立つ行為であり、親子では情があるゆえに難しい。
- 匡章は父を正したが、その結果として父を怒らせ、同居できなくなったことを深く悔いた。
- その反省から、家庭(妻子)をも断ち、誠意をもって父への償いとした。
- 表面的な行為を「不孝」と断ずる前に、その裏にある思慮と心情を見なければならない。
- 孟子は、道徳判断において「人の心を推し量ることの大切さ」を説いている。
パーマリンク案(スラッグ)
- critique-with-care-in-families(親子間での正義には慎重さを)
- friendship-allows-criticism-not-filial-piety(責め合いは友情の道、親子の道ではない)
- understand-intent-before-judging(行為の背後にある心を見よ)
この章は、道義を重んじながらも、人間関係の温度と複雑さを深く理解した孟子の寛容さと洞察が表れています。
現代にも通じる重要な教えは、「正しいことを言うこと」と「人としてどう在るか」は同時に考えねばならないという点です。
原文:
夫章子、子父責善而不相遇也。責善、朋友之道也。父子責善、恩之大者也。
夫章子、豈不欲有夫妻子母之屬哉。爲得罪於父不得近也,出妻屛子,終身不養焉。
其設心以爲不若是,是則罪之大者。是則章子已矣。
書き下し文:
夫(そ)れ章子は、子父(しふ)善を責めて、相い遇(あ)わざるなり。
善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊(そこ)なうの大なる者なり。
夫れ章子は、豈(あ)に夫妻・子母の属(しょく)有らんことを欲せざらんや。
父に罪を得て、近づくを得ず。妻を出(い)だし、子を屏(しりぞ)けて、終身養わるること無し。
其の心を設(もう)くること、是の若(ごと)くならざれば、是れ則ち罪の大なる者なり。
是れ則ち章子のみ。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「章子は、父と子でありながら“善を責めた”ために、互いに顔を合わせなくなった」
→ 本来親子であるにもかかわらず、正義を主張し合った結果、関係が断絶してしまった。 - 「人の善を指摘し合うのは“朋友(友人)”の道である」
→ 正すべきことを正すのは友人間の関係であり、親子の情にはそぐわない面がある。 - 「父子間で“善を責める”のは、親子の恩を傷つける重大な過ちである」
→ 親子関係には感情と恩義があり、理屈よりも情愛が大切。 - 「章子は、夫婦や親子の生活を望まなかったわけではない」
→ 家族を持ちたい気持ちは当然あった。 - 「だが父に背いて関係を断たれ、家を出て、妻子とも別れ、誰からも養われなくなった」
→ 父からの不興を買ったことで、家族をすべて失ってしまった。 - 「それでも自ら“こうしなければならない”と心に決めていた。そこまでしてでも貫いた道」
→ 章子の信念は、まさに“最大の罪(※父との断絶)”を自覚しながらも選んだ道だった。 - 「それが章子の覚悟であり、彼の本質である」
→ 章子の人物評価は、この自己犠牲的な覚悟にある。
用語解説:
- 責善:相手の誤りや非を正し、善を勧めること。
- 朋友の道:友人関係における相互の指摘・切磋琢磨の倫理。
- 恩を賊う:恩義や情を壊す。親子間の情を破壊するような振る舞い。
- 屛(屏)く:遠ざける、排除する。
- 設心:心に決めること、覚悟すること。
全体の現代語訳(まとめ):
章子は、父親と道義的な意見の違いから互いに顔を合わせなくなった。
しかし、人の誤りを指摘するのは本来、友人同士の道であって、親子間でそれをしてしまうのは情義を壊す重大な過ちである。
章子自身は家庭を望まなかったわけではない。
だが父の不興を買い、妻と子を手放し、誰からも養われることなく生きた。
それは彼が「自分の選んだ道こそ正しい」と覚悟を決めていたからであり、
その信念が彼の最大の“罪”であり、同時に最も深い覚悟でもある。
解釈と現代的意義:
この章句が伝えるのは、**“正義と親情の間で揺れる人間の倫理的ジレンマ”**です。
- 章子は正しいと思うことを実行したが、それが親との断絶という「最大の代償」を伴った。
- 孟子はこの行為を一概に否定せず、信念と覚悟を持った行動の重みを描いています。
つまりこの章句は、
「大義のために親情を捨てる覚悟」と「本質的な倫理とは何か」
という深い倫理的思索を我々に問いかけています。
ビジネスにおける解釈と適用:
- 「正義の主張が、組織の信頼や人間関係を壊すことがある」
── 道理を説くことが必ずしも最良ではない。タイミングや方法が重要。 - 「組織の中で善を責める行為は、信頼関係を前提にすべき」
── 批判よりも共感と対話。親密な関係でこそ、建設的な指摘が可能。 - 「信念を貫く覚悟と、それに伴う代償を理解せよ」
── 大義のために何を失う覚悟があるか。その問いに答えられるかが、リーダーの資質。
ビジネス用心得タイトル:
「正しさがすべてではない──信念と関係性のバランスを知る覚悟」
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