MENU

蟹は甲羅に似せて穴を掘る

第1話

N社は不動産業を基盤とし、土地の分譲や貸ビル、建売住宅の提供を主要な事業として展開していた。しかし、石油ショックによる不況が影響し、業績は停滞。会社の方向性を打開するため、「利益を生む事業ならどんな分野でも挑戦する」という姿勢を掲げるに至った。

さまざまな可能性を検討する中で目を付けたのは、貸ビルのテナントとして入居している外食業者だった。彼らがかなりの利益を上げているとの情報があったのだ。これをきっかけに、大衆食堂の運営に乗り出そうという計画が浮上した。具体化に向けて、各種の調査や事業計画の立案に取り組むこととなった。

しかし、売上高を具体的に計算してみる段階になると、その現実に愕然とした。1人前500円や600円という価格設定では、100万円の売上を達成するために1000食や2000食もの提供が必要になる。数字を眺めるたびに気が遠くなり、この計画への意欲も次第に薄れていった。

土地や建物の売買では、1件の取引で簡単に1,000万円や1,500万円といった規模の金額が動く。それに対して、大衆食堂の商売はどう頑張っても単位が小さすぎる。比較すればするほど馬鹿馬鹿しく思えてきて、やる気は完全に失われた。結局、この計画は白紙に戻され、立ち消えとなった。

ある電子部品メーカーでは、多種少量生産を主軸にしていたが、石油不況の波をまともに受け、大きな打撃を受けた。減量作戦や赤字補填の資金配分に苦心する一方で、当時のブームに乗り、トランシーバーの生産販売に活路を見出そうと試みた。しかし、多種少量生産と大量生産という性質の違いから、なかなか生産体制が整わず、不手際が続いた。それでも徐々に経験を積み、ようやく軌道に乗り始めた矢先、トランシーバーの需要は下降線をたどり始めてしまった。

ある運輸業者が新たな事業として外食産業に挑戦した。試験的に開業した第一号店は順調に軌道に乗り、安定した収益を上げるまでに成長した。当初、社長はこれを起点としてチェーン展開を図る意気込みだった。しかし、次第に「どうも気が進まない」という感情が湧き上がり、さらに店舗責任者が本業に戻りたがるという状況にも直面。結果として、新たな展開は実現せず、事業拡大の計画は立ち消えとなった。

新事業に挑む際、業態が大きく異なっていたり、技術的に未知の領域へ突然踏み込んだり、社長の性格にそぐわなかったりすると、なかなか成功しないことが多いようだ。人間というのは、一朝一夕で大きな意識の転換を図るのは難しい生き物らしい。過去の経験や固定観念が無意識のうちに足かせとなり、思考や行動の柔軟性を妨げてしまうのだ。また、性格そのものを急に変えることもできないため、それが事業の壁となることも少なくない。

そう考えるなら、大きな意識変革が求められる事業や、自分の性格に合わない分野には手を出さない方が賢明だろう。無理をして苦手な領域に踏み込み、必要以上に苦労する必要はない。むしろ、自社の特質を活かせる事業や、自分の性格と調和する分野を見極め、それに注力する方が現実的であり、成功の可能性も高いと言える。

この点に関連して強調しておきたいのは、加工業者が自社商品を手がける際、最も大きな壁となるのが「販売」であるということだ。加工業者にとって、販売はこれまでの経験からかけ離れた未知の分野であり、総代理店や大問屋に任せれば簡単に回るものと安易に考えがちだ。しかし、現実はそう甘くなく、思い描いた通りにいかないことが多い。結果として、「こんなはずではなかった」と失望し、早々に戦意を喪失してしまうケースが後を絶たない。

新規参入企業の新商品に積極的に力を入れてくれる問屋など、現実には存在しないと言っていい。また、市場を調査してみて「先行メーカーが多すぎて競争が激しい」と尻込みし、撤退を決める会社も少なくない。しかし、競争が激しくない業界など、むしろ例外的だ。過当競争を理由に二の足を踏むのであれば、進出可能な市場など初めから存在しないと言える。競争を前提にどう戦略を組むかが問われているのだ。

販売というのは、製造と比べて何倍、いや何十倍も難しいものである。この現実を深く理解しなければならない。初めの二、三年は赤字を覚悟し、数え切れないほどの失敗を経験しながら、必死に販売のノウハウを学び取る努力が必要だ。簡単には結果が出ないからこそ、粘り強く取り組む姿勢が求められるのである。

すでに販売経験のある会社であっても、新たな市場に参入する際は、状況が把握できず失策や迷走を繰り返すのが常だ。それほど販売というものは複雑で手強い。ましてや、販売の経験がまったくない会社にとっては、初めの二、三年は試練の連続となることを覚悟しなければならない。そんな苦しい時期を乗り越える覚悟がないのであれば、「自社商品を持ちたい」などという軽はずみな野望を抱くべきではない。

第2話

食品問屋のL社は、赤字ではないものの、業績はさして振るわない状況だった。会社の数字を精査していく中で、人件費総額が異常に高いことが判明した。個々の賃金が特段高いわけではなさそうだったため、人的資源の配分に問題があるのではないかと推測し、職制別の人員配置を調べたところ、寿司や惣菜の部門にかなりの人数が割り当てられていることが分かった。詳細を確認すると、これらの部門では製造まで手がけているというのだ。

直感的に何かおかしいと感じ、寿司と惣菜部門の売上高と粗利益を算出してみたところ、粗利益額が人件費を大きく下回っていることが判明した。これこそが、L社の業績が伸び悩んでいる最大の原因だったのだ。

詳しく事情を聞いてみると、数年前にコンサルタント団体に経営診断を依頼した際、「流通業は利益率が低い。付加価値率の高い『製造』を事業に加えるべきだ」という勧告を受けたのだという。それを真に受け、製造部門を立ち上げた結果がこの有様だった。あまりにも無責任な勧告であり、事業経営の「ジ」の字も理解していないようなコンサルタントが横行している現実には、怒りを禁じ得ない。

私は即座に寿司と惣菜の製造を中止するよう提案した。確かに、従事しているのはほとんどパート従業員であり、解雇に大きな問題がないという事情もあった。しかし、真の理由はそれだけではない。この事業が「手を出してはいけない領域」だったからだ。利益を出すどころか、経営の足を引っ張るような事業は、迷わず切り捨てるべきだと判断した。

私はL社長にこう説明した。「流通業と製造業は事業の特性が根本的に異なり、両方を同時に手がけること自体が無理があります。製造は製造業者に任せるべきであり、流通業者は自分たちの本業である流通業に徹するのが正しい姿です。そして、流通業の中でこそ革新を進めるべきです。無理に他の分野に手を広げるのではなく、自分たちの強みを磨き上げることが重要です。」

もう一つ重要な理由があった。それは、流通業や製造業といった業態の違いを超えて、どんな事業にも共通する原則だ。それは、「社長が理解できない事業に手を出してはいけない」ということだ。事業というものは、社長が理解していなくても運営できるほど簡単なものではない。むしろ、事業の成否は社長自身の姿勢や方針によって大きく左右される。社長がその事業を本当に理解し、指揮を執れることが、成功の最低条件なのである。

事業は、社長が自ら身を挺して取り組むことで初めて成功するものだ。それをせず、「自分には分からないから」と専門家や経験者をスカウトし、彼らに全てを任せるという安易で無責任な態度では成し遂げられない。この現実をしっかり理解する必要がある。過去にこうした安易な姿勢で成功した例があったとしても、それは高度成長期という特別な環境――いわば温室の中に守られていたからこそ可能だったのだ。現在のような厳しい経済環境下では、同じ手法は通用しない。

高度成長時代の末期に訪れたマンションブームは、この「安易な態度」の典型例と言える。過剰流動性の時代、銀行が企業に積極的に融資を促し(あるいは半ば強要し)、その資金を元手に「マンションでも建てて売るか」という安易な発想で事業が乱立した。その結果、マンションが雨後の筍のように次々と建設された。このような取り組みを「デモ事業」と呼ぶ。

デモ事業の最も顕著な特徴は、社長がその事業に本気で身を入れない点にある。単なる流行や余剰資金の使い道として始めた事業であり、社長自身が事業の本質を深く理解せず、責任感を持たない。結果として、一時的な成功に見えても持続性を欠き、しばしば破綻や問題の種を残すことになる。

その結果、石油不況によってマンション需要が急激に冷え込んだ際、真っ先に苦境に立たされたのは、この「デモ事業」を展開していた企業だった。社長自身が事業に身を入れず、責任を持たないまま、数人の社員に丸投げするような運営では、長期的にうまくいくわけがない。本来、事業の舵取りをすべき社長が関与を避け、流行に乗っただけの安易な姿勢で始めた結果が、このような事態を招いたのだ。

一方で、マンション販売を本業とする専業者たちは、全く異なる姿勢でこの苦境に立ち向かった。社長自らが陣頭指揮を執り、現場に深く関与しながら懸命に奮戦した結果、厳しい状況を乗り越えることができた。専業者にとってマンション販売は単なる流行の事業ではなく、生業そのものであり、そこにかける覚悟と努力が安易なデモ事業との差を際立たせたのだ。

S社長は、マンション専業者の社長から猛烈に攻め立てられ、ついにはマンションを購入することになった。しかし、後にこう振り返った。「しつこく食い下がられて仕方なく買わされたが、あの熱意と執念には正直、頭が下がった。」専業者の社長の本気度が、相手にまで伝わり、最終的に結果を生んだ一例である。

S社長は最後にこう語った。「事業というものは、社長自らが『これで飯を喰うんだ』という覚悟を持って臨まなければ成功しない、ということをあの専業者の社長から教えられた。」この一言は、事業の本質を突いている。中途半端な姿勢ではなく、全身全霊を注ぐ覚悟こそが、事業成功の鍵であることを痛感させられる出来事だったのだ。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」― 自社の特性を活かし、新事業は慎重に

新規事業の成功には、自社の本業と特性を最大限に活かすことが不可欠です。思いつきや勢いに任せて本業と異なる分野に進出すると、事業全体の基盤が崩れるリスクが高まります。以下では、N社やL社などの事例を通じて、事業の選択における重要な視点と、社長の役割について深掘りします。

1. 新規事業に必要な「自社特性の見極め」

N社の「儲かるなら何でもやる」という方針は、業界や収益構造が異なる分野に無計画に進出することのリスクを象徴しています。外食業界が利益を上げているからといって、不動産業者が同じ成功を収められる保証はなく、業種の違いが大きな障壁となります。N社が進出を断念したように、商売の単位が本業と全く異なる新事業は、たとえ収益性が良さそうに見えても、長期的には不適切な選択となりやすいのです。

2. 過去の経験と社長の特性が影響する

人は急激な意識改革や大幅な方向転換が苦手であり、特に企業が異業種に進出する場合、社長自身の事業特性や性格との適合性も無視できません。N社や他の事例のように、新事業が社長の性格や会社のDNAと合致しない場合、事業は軌道に乗らず、戦意喪失に至ることが多いのです。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」という言葉の通り、自社の特質に沿った事業でこそ、企業の強みが発揮されます。

3. 流通業者が製造業に手を出すリスク

L社の事例は、流通業が製造業に参入する際のリスクを示しています。コンサルタントの無責任な勧告に従って寿司や惣菜の製造を始めた結果、L社は人件費の増大と収益悪化を招きました。流通業と製造業はそれぞれ異なる特性を持ち、片方のノウハウがそのままもう一方に通用するわけではありません。L社のように、製造業に関する知識が不足している場合、その分野に進出することは避け、流通業における革新に集中する方が賢明です。

4. 未知の分野への参入には社長が先頭に立つべき

新規事業や自社商品を持つことは、短期間で成功するものではなく、特に未経験の分野であれば数年の赤字を覚悟する必要があります。社長が先頭に立ち、販売戦略を学び、困難に耐える覚悟がなければ、事業が成功することはまずありません。専門家に任せて事業を展開する「デモ事業家」ではなく、社長自らが事業を「これで飯を食うのだ」という意識で率いる姿勢が必要です。

5. 自社の「甲羅」に沿った堅実な成長戦略を

事業の選択には慎重さが求められます。自社の本業や強みから大きく外れた分野では、知識不足や販売力の欠如が致命的な結果を招きます。N社やL社の失敗事例を踏まえ、「蟹が甲羅に似せて穴を掘る」ように、自社の特性や強みに沿った事業展開こそが、安定的な成長と成功への道です。

結論

新規事業の成否は、会社の特質と事業内容の適合に大きく左右されます。自社の特性や社長の性格に合わない事業は避け、長期的な視点で持続可能な成長を目指すことが重要です。社長自らが旗を振り、経験を積みながら戦略的に新事業を展開することが、将来の安定収益を築くための最善の道であるといえます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次