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形式よりも心――譲り合いの心なくして、礼は虚しい

礼とは形ではなく、思いやりと譲りの心に宿るもの

孔子は、社会や国家の秩序を保つうえで「礼」が重要であると繰り返し説いてきたが、
その「礼」とは、単なる形式や作法ではなく、根本に「譲り合い」「他者への配慮」という心が伴ってこそ意味を持つと明言する。
もし人々が互いに尊重し、譲り合う精神で国を治めようとするなら、それは難しいことではない。
しかし、たとえ表面的に礼儀正しく振る舞っていても、その根底に「礼譲」の精神が欠けていれば、社会は内側から崩れていく。
つまり、形式にとらわれず、その奥にある思いやりと謙遜の心こそが、あらゆる組織や共同体の秩序を支える土台なのだ。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、能(よ)く礼譲(れいじょう)を以(もっ)て国(くに)を為(おさ)めんか、何(なに)か有(あ)らん。
能(よ)く礼譲を以て国を為めずんば、礼(れい)を如何(いかん)せん。

譲り合う心があれば、国を治めることさえ難しくはない。
だが、その心がなければ、どれだけ礼を尽くしても空しいだけだ。


注釈

  • 礼譲(れいじょう)…礼儀と譲り合いの心。単なる動作ではなく、相手を思いやる内面的態度を含む。
  • 国を為めんか…国家を治める、政治を行う意。ここでは広く「社会秩序」や「集団運営」にも通じる。
  • 何か有らん…何の困難があろうか、いや、うまくいくはずだ(反語)。
  • 如何せん(いかんせん)…どうしようもない。意味をなさない。
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