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施しとは、戦うごとく、勇気と決意を要する行為である


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🔖 原文(日本語訳)

「わかち与えることと戦闘とは相等しいと人々は言う。
これらの美徳は悪人には存在しない。
人々にわかち与える時は、戦闘の時のごとくである。
その原因をまとめて言うならば、(いずれも他と)等しいであろう。」
――『ダンマパダ』第1章「双句品」第9偈


📝 逐語訳

  • わかち与えることと戦闘とは相等しい:施しをすることと戦うことは、精神的に同等の価値を持つと人々は言う。
  • これらの美徳は悪人には存在しない:自己中心的な者や邪悪な心を持つ者には、この二つの徳性(布施と勇気)は備わらない。
  • 人々にわかち与える時は、戦闘の時のごとくである:施すという行為は、内なる葛藤や執着に打ち勝つという意味で、戦うのと同様である。
  • その原因をまとめて言うならば、等しいであろう:どちらの行為にも、勇気・決断・利他性が共通の本質として存在する。

🧩 用語解説

用語意味
わかち与えること(布施・ダーナ)物・知識・労力・時間などを他者のために差し出す行為。
戦闘比喩的には「自我との戦い」「執着との戦い」。現実の争いではなく、内なる勝利を象徴する。
美徳(ヴィルティ)高い精神性・人間性を示す行為や心の在り方。
悪人利己的で、他人を思いやる心や勇気に欠ける者。

🌐 全体の現代語訳(まとめ)

人々は「わかち与えること」と「戦うこと」が同等に尊いと語る。どちらも、普通の人にはできない勇気と自己超越を必要とする。実際、他者のために何かを手放す行為は、自分の執着や恐れと戦う行為であり、それはまさに戦闘と同じ精神的強さを要するものである。


💡 解釈と現代的意義

この章句は、「布施=慈悲」の行為に、戦士のような覚悟と精神力が必要であることを教えています。
ただの善行や優しさではなく、自我・欲望・怠惰といった内なる敵と向き合い、それに打ち勝った上で初めてできる行為として、施しが讃えられているのです。

それゆえに、善き者のみが持つ「美徳」であり、利己的で冷淡な者にはできない、という厳しい指摘でもあります。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
リーダーシップ部下や周囲のために自分の時間・権限・成果を分け与えることは、精神的な戦いと決断力が必要な行為。
経営判断自社の利益を超えて社会や業界に貢献する決断は、短期的利益を捨てる勇気がなければできない。
CSRと価値創造他者のためにリソースを投じることは、一見不利でも、長期的な信頼と価値を生む戦略的行為。
自己成長他人のために動くことが、自我を削り、自身をより高次の存在へと鍛え上げる「内なる戦い」となる。

✅ 心得まとめ

「施しとは、内なる敵との戦いであり、勝者だけが与えられる力である。」

本当に誰かに与えるという行為には、勇気・決意・犠牲・そして慈悲が必要です。
それは単なる「親切」ではなく、自分を超える行為=精神の戦いなのです。
この章句は、真に強い者だけが与えることができると、私たちに厳しくも温かく語りかけています。

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