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他の思想に向き合い、正しさをもって論破せよ

間違いに目をつぶるのではなく、誠をもって正すことが仁の道

ある日、**墨子の思想を信奉する夷之(いし)**が、孟子に会いたいと申し出てきた。
このとき孟子は病のため、こう答える:

「会いたいと思ってはいるが、今は病気中だ。病が治ったら、私のほうから会いに行こう。だから今は来ないでほしい」

しかし後日、夷之が再度面会を求めてくる。
そこで孟子はこう言う:

「今なら会える。だが私は、彼の誤りを正さねばならない」

孟子は、思想的対話を単なる礼儀や議論のためではなく、「誤った道を正し、正しい道を示すため」に行うという姿勢を明確にする。


墨子の教えへの批判:節倹と薄葬

孟子はこう続ける:

「夷之は墨家を信じていると聞く。墨家では、親の葬儀も質素にすべきだと教えている。これは節倹・兼愛を柱にした思想である」

ところが――

「夷之はその教えに反して、自分の親を厚く葬った」

これはどういうことか?

孟子は言う:

「自分が賤しい(=やるべきでない)と考えているやり方で、自分の親を葬ったことになる。
つまり、自分の理屈では、親を賤しんだことになるではないか」

孟子は、思想と行動の不一致=偽善を鋭く突いている。


本章の主題

孟子の主張は次の通り:

  • 正しい思想とは、現実と一致し、実行に移せるものであること
  • 相手の思想が間違っていると確信するならば、それを正すのが道を説く者の責任
  • 儒家(孟子)の立場では、親を敬い、厚く葬ることが「仁」の出発点である
  • それを否定しながら、現実には手厚く葬るというのは、理に反し、誠にも欠ける

引用(ふりがな付き)

吾(われ)聞(き)く、夷子(いし)は墨者(ぼくしゃ)なりと。
墨(ぼく)の喪(そう)を治(おさ)むるや、薄(うす)きを以(もっ)て其(そ)の道(みち)と為(な)す。
然(しか)り而(し)して夷子(いし)は其(そ)の親(おや)を葬(ほうむ)ること厚(あつ)し。
則(すなわ)ち是(こ)れ賤(いや)しむ所(ところ)を以(もっ)て親(おや)に事(つか)うるなり。


簡単な注釈

  • 墨子(ぼくし)/墨家(ぼっか):兼愛(けんあい)=万人平等の愛、非攻、節倹、薄葬などを主張。儒家と対立。
  • 儒家(じゅか):親を愛することを出発点とし、その延長に国家や社会への仁義を説く。
  • 直す(ただす):他者の誤りを理をもって正すこと。孟子にとって「議論」は手段ではなく、善を広める方法。
  • 厚葬(こうそう):心を込めて丁重に親を葬る儒家的価値観。薄葬(はくそう)=墨家的価値観と対立。

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この章は、孟子が単に知識を述べる学者ではなく、現実を変えようとする思想の実践者であったことを物語る重要な場面です。

彼は、「間違いを正さずに済ませること」は、仁の放棄であるという信念のもと、他者の思想と真剣に向き合いました。

1. 原文

墨者夷之、因徐辟而求見孟子。孟子曰:「吾固願見也。今吾尚病、病愈、我且往見也。」夷子不來。
他日又求見孟子。孟子曰:「吾今則可以見矣。不直則道不見也。我且直之。

吾聞夷子墨者也。墨之治喪也、以薄爲其道。夷子思以易天下、豈以爲非是而不貴也?然而夷子葬其親厚、則是以所賤事親也。」


2. 書き下し文

墨者の夷之(いし)、徐辟によりて孟子に見(まみ)えんことを求む。
孟子曰(いわ)く、「吾(われ)固(もと)より見んことを願う。今吾れ尚(なお)病めり。病癒えなば、我且(まさ)に往きて見んとす。」

夷子来たらず。他日また孟子に見えんことを求む。孟子曰く、「吾れ今は則(すなわ)ち以て見うべし。直(ただ)しからざれば、道見わるべからず。我且に之を直さんとす。

吾れ聞く、夷子は墨者なりと。墨の喪を治むるや、薄きを以て其の道と為す。夷子は以て天下を易えんと思う。豈(あに)以て是に非ずと為して貴ばざらんや。

然り而して夷子は其の親を葬るに厚し。則ち是れ、賤しむ所を以て親に事(つか)うるなり。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 墨家の夷之が、徐辟を通じて孟子に会いたいと申し出た。
  • 孟子は「私はもともと会いたいと思っていた。だが今は病気だ。病気が治れば私の方から会いに行く」と答えた。
  • しかし夷之は来なかった。
    数日後、再び孟子に会いたいと願い出た。
  • 孟子は「今はもう会える状態だ。しかし“正しくない者”には“道”を示すことができない。だから私はまず彼を“正す”つもりだ」と語る。
  • 「私は聞いている。夷子は墨家の人間だと。
    墨家は喪(葬儀)を簡素に行うことを教義としている。
  • 夷子はその教義で天下を改革しようとしている。
    つまり“正しい”と信じているのだろう。
  • しかしその夷子が、自分の親の葬儀を手厚くしたという。
    それは“価値が低い”と主張するものをもって、親に仕えたということだ。
    要するに、自分の教義を実践できていない、ということになる。」

4. 用語解説

  • 墨者(ぼくしゃ):墨家の学派に属する者。兼愛・非攻・節葬などを主張する。
  • 夷之(いし):墨家の人物で、孟子と思想を異にする代表者の一人。
  • 徐辟(じょへき):夷之と孟子の仲介役。
  • 薄(うす)し:簡素・質素なこと。ここでは「葬儀を質素に行うべき」とする墨家の教義。
  • 厚(あつ)し:丁寧に、手厚く。ここでは「親の葬儀を丁重に行う」こと。
  • 道を直す(ただす):相手の思想の誤りを正すこと。孟子は「真理(道)」は正しくない人には教えられないと述べている。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

墨家の夷之が孟子に会いたいと申し出る。最初は孟子が病気のため会えなかったが、病が治ってからは「教えを伝えるには、相手が正しくなければならない。私は彼を正すつもりだ」と言う。

墨家は「喪を質素にすることが道徳的である」と主張するが、その教えを掲げながら、実際には夷之自身が親を手厚く葬った。これは、教義を守れていない=言行不一致を意味する。孟子はそこに批判の矛先を向けた。


6. 解釈と現代的意義

「理念と実践の不一致に対する批判」

孟子は「思想は行動に表れねば意味がない」という姿勢を貫いており、言行不一致を厳しく批判します。

  • 理想や理念を唱えるだけでは足りず、「それを自らが実践できているか」が問われる。
  • 他人を教化する前に、自らが“正しくある”ことが第一である。
  • 自分の信念に反する行動を取る者は、他人にその信念を押しつける資格がない。

7. ビジネスにおける解釈と適用

「理念先行の偽善を避け、まずは“率先垂範”」

  • 組織のトップやリーダーが唱える理念(たとえば「節約」や「現場重視」)が、自らの行動と矛盾していると、現場は白け、信頼は崩れる。
  • 真に尊敬されるリーダーは、自らが最も理念に忠実であり、「自分に厳しく、他人に寛容」である。
  • 企業文化においても、「掲げる価値観」と「日々の実践」が一致していなければ、形骸化するだけである。

8. ビジネス用心得タイトル

「言葉より行動が信を得る──理念を語る前に、自ら実践せよ」


この章句は「道は実践にあり」という孟子の倫理哲学がよく表れている部分であり、特にリーダーや教育者、信頼を築く立場にある人にとって強い指針となる内容です。

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