正しさよりも、親への思いやりを忘れずに
孔子は、たとえ父母に誤りがあったとしても、真っ向から否定したり、無礼な言い方をしてはならないと説いた。
相手の立場や心情に配慮しながら、やわらかく丁寧に――角が立たぬように――誠意を込めて諫めるのが礼である。
もしそれでも親が耳を貸してくれなかったとしても、なお敬意を失わず、従順な態度を保ち続けるべきだ。
さらには、親の誤った行為のために自分が苦労することになっても、決して恨んではならない。
この言葉には、「正しさ」よりも「親への心」を優先する、孔子ならではの深い孝の精神が込められている。
誤りをただす時こそ、親への敬意と心くばりが試される。
たとえ報われなくとも、思いを尽くすことに価値がある。
原文
子曰、事父母幾諫、見志不從、又敬不違、勞而不怨。
書き下し文
子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)に事(つか)うるには幾(こい)に諫(いさ)む。
志(こころざし)の従(したが)わざるを見(み)ては、又(また)敬(けい)して違(たが)わず。
労(ろう)して怨(うら)みず。
現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 「父母に事うるには幾に諫む」
→ 両親に仕えるときは、もし両親の考えに誤りがあれば、控えめに丁寧に意見を述べること。 - 「志の従わざるを見ては、又敬して違わず」
→ それでも両親が考えを変えないときは、なおも敬意を持ち、従い、逆らわないようにする。 - 「労して怨みず」
→ 苦労しても、心の中で不満や恨みを持ってはならない。
用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
幾諫(きかん) | 控えめで柔らかな言い方で諫める(忠告する)こと。強く反対するのではなく、穏やかに説く態度。 |
志の従わざる | (両親が)意見に従わない、受け入れないという意味。 |
敬して違わず | 敬意を保ちつつ、逆らわない(親の意思に従う)こと。 |
労して怨みず | 心身を労しても、それを恨みに思わない。 |
全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう語った:
「父母に仕えるときは、意見すべきことがあれば、慎み深く諫めるべきである。
しかし、たとえそれが聞き入れられなくても、なおも敬意を持って逆らわず、
たとえ苦労しても、決してそれを恨んではならない」
解釈と現代的意義
この章句は、**「親への孝(こう)とは、盲従ではなく“敬意と対話”と“受容”のバランスである」**という、孔子の極めて人間味ある教えです。
- “諫める”ことも孝の一部
→ 親に間違いがあると思ったときに、丁寧に意見を述べることは、むしろ愛と誠意の証。 - それでも従うのが孝の完成形
→ 意見が通らなくても、感情的にならず、敬意と従順さを保つことが真の成熟。 - 不満をためない自己制御の修養
→ 実践は難しいが、孔子は「心の中に怨みを抱かないこと」まで求めており、内面の完成=仁徳の実践と重なっている。
ビジネスにおける解釈と適用
「目上への進言は、“敬意”が前提」
- 上司や年長者に対して意見を述べる際は、強く反論するよりも“幾諫”=慎みと敬意を込めた表現が重要。
- 内容より“態度”が人間関係を左右する場面が多い。
「通らぬときにも、信頼を失わぬ姿勢を保て」
- 提案が却下されたときに不貞腐れたり、無責任になったりしない。
→ 敬意を保ち、指示に従い、建設的に動くことが“プロとしての成熟”。
「納得できなくても、“怨まぬ心”がチームを支える」
- 苦労しても「なんで自分ばかり…」という気持ちを抑え、組織や人間関係の信頼維持を優先する姿勢が評価される。
まとめ
「敬して諫め、従って怨まず──信頼は“姿勢”でつくられる」
〜意見が通らぬときにこそ、徳が問われる〜
この章句は、親子関係にとどまらず、あらゆる上下関係・対人関係に通じる普遍的な教えです。
敬意ある対話、従順と誠実、内面の怨みを抱かぬ自己制御。
それらすべてが揃ってこそ、真の信頼・誠実・徳のある人物として、長く人に支持されるのです。
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