■ 引用原文(日本語訳)
世俗的であっても、すぐれた正しい見解をもっているならば、
その人は千の生涯を経ても、地獄に堕ちることがない。
――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第9節
■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)
- たとえ世俗の生活に生きる者であっても、
在家であったり、俗世の営みの中に身を置いていたとしても、 - もし正しい見解(正見)を深く備えているならば、
真理にかなったものの見方(正見)をしっかりと保っていれば、 - その人はたとえ千の生涯を生きても、
どれだけ多くの輪廻を経たとしても、 - 地獄(苦しみの境涯)に堕ちることはない。
重大な罪過を犯すことなく、常に善き方向に導かれる。
■ 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
世俗的(グリハスタ) | 在家生活、家庭や社会に関わりながら生きること。 |
正しい見解(サンマー・ディッティ) | 仏教における「八正道」の一。因果・四諦・縁起などの真理を正しく理解する智慧。 |
千の生涯(サハッサ・ジャーティ) | 何度も生まれ変わる長い輪廻の過程。 |
地獄(ナラカ) | 仏教で説かれる六道の一つ。重い煩悩や罪によって堕ちる苦しみの境界。ここでは象徴的に「苦悩に満ちた状態」を指す。 |
■ 全体の現代語訳(まとめ)
たとえ家庭を持ち、社会で働きながら生きている者であっても、
もし真理にかなった「正しい見解(正見)」を持って生きているならば、
その人はたとえ無数の生涯を経ても、苦しみの境地に堕ちることはなく、
常に善き方向へと導かれる。
重要なのは「どこにいるか」ではなく、「何を理解し、どう見るか」である。
■ 解釈と現代的意義
この節は、「立場ではなく見解が人を導く」という深い真理を語っています。
社会の中で生きている私たちは、修行者のように世俗を離れることはできません。
しかし、正しい価値観・視点・考え方――つまり“正見”を持って生きるならば、
その人の行動・判断・人生は自然と清らかで調和の取れたものになります。
これは、「智慧ある日常こそが、最善の修行である」という仏教的メッセージです。
■ ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
倫理と判断軸 | どれほど成果を出しても、価値観が歪んでいれば長続きしない。正しい見解(人間観・仕事観)を持つことが根幹となる。 |
リーダーの視座 | 社会の中にいても、「何が本質か」「何が善か」を見極める力がリーダーの資質を決める。 |
ブレない信念 | 周囲がどう動こうと、長期的・本質的視点をもって意思決定する者は信頼される。 |
日常の修行としての仕事 | 職場や家庭が修行の場であるという自覚を持てば、日々の業務にも智慧と慈悲が宿る。 |
■ 心得まとめ
「立場ではない。見解が人を救う。」
世を離れずとも、正しい視点・正しい思考をもって歩むなら、
人生はそれだけで尊い修行の道となる。
混迷する現代において、外見や地位ではなく、
「真理にかなった心の持ち方」こそが、苦悩を超える最良の盾となるのです。
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