行き過ぎず、足りなさすぎず――孔子の徳は中庸にあり
孟子は、孔子の人柄について「已甚(いしん)しきを為さざる者=極端なことをしない人」と評した。
つまり、孔子は「やりすぎることがない」、常に節度をわきまえ、偏らない行動をとった人物であるという。
これは、儒家における理想的な人格の体現であり、
「中庸(ちゅうよう)=過不足のない、調和とバランスのとれたあり方」を重んじた姿勢にほかならない。
中庸とは、単に「中間」であるということではない。
それは、状況に応じて最適な行動を選ぶための高度な判断力と、深い修養を意味する。
孟子は、孔子こそがその徳を日々の言動において自然に体現していた人物だと見ている。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
仲尼(ちゅうじ)は已甚(いしん)しきを為(な)さざる者(もの)なり。
注釈
- 仲尼(ちゅうじ):孔子のあざな。儒教の祖とされる。
- 已甚(いしん)しき:度を超すこと、極端な行為、やりすぎ。
- 為さざる者:行わない人、つまり節度を保った人。
- 関連語句:『論語』にも「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」(先進第十一)など中庸の精神が繰り返し語られている。
心得の要点
- 真に偉大な人物とは、極端に走らず、調和と節度を守る。
- 中庸は、弱さでも妥協でもなく、柔軟で強い意志による選択。
- 孔子は、そのような「過不足のない」人格を自然に体現した人物。
- 日々の判断と行動において、偏らぬことは最大の徳とされる。
パーマリンク案(スラッグ)
- confucius-was-balanced(孔子は調和の人)
- no-extremes-no-errors(極端なし、誤りなし)
- virtue-in-moderation(徳は節度に宿る)
この章は、孔子を通して「中庸」の生き方を称賛する一文ですが、
それはそのまま、現代を生きる私たちにも通じる「調和の力」を説いています。
原文:
孟子曰:
仲尼不爲已甚者。
書き下し文:
孟子(もうし)曰(いわ)く、
仲尼(ちゅうじ)は已甚(いしん)しきを為(な)さざる者なり。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「仲尼は」
→ 仲尼(ちゅうじ)、すなわち孔子のこと。 - 「已甚しきを為さざる者なり」
→ 行き過ぎたこと、度を越したことをしない人物である。
用語解説:
- 仲尼(ちゅうじ):孔子の字(あざな)。儒教の始祖であり、聖人とされる人物。
- 已甚(いしん):度を超すこと、やり過ぎ、行き過ぎ。言動・処罰・批判・賞罰などが必要以上であることを指す。
- 為さざる者:行わない人。つまり、そのような行為を慎む人物。
全体の現代語訳(まとめ):
孟子はこう言った:
「孔子という人は、何ごとにも節度をわきまえ、決してやり過ぎることのない人物であった。」
解釈と現代的意義:
この章句は、孟子が孔子の“中庸(ちゅうよう)”の徳を称えているものです。
孔子は、善悪の判断や賞罰の実行においても、極端に走らず、感情や権力に流されることなく節度を守る人物だったと孟子は述べています。
つまり、正しさだけでなく「適切さ」=度をわきまえることこそが、真の聖人・リーダーに必要な資質であるというメッセージです。
ビジネスにおける解釈と適用:
- 「リーダーは“やり過ぎない”勇気を持つ」
過度な叱責・賞賛・評価・命令など、“行き過ぎ”た指導は長期的には逆効果。
冷静に、適切に、慎重に判断することが信頼を生む。 - 「強すぎる是正・介入は、組織の健全性を壊す」
善意からの改革や改善でも、強制や過剰干渉になれば、現場のモチベーションや創造性を奪ってしまう。 - 「賞罰は公平に、そして適度に」
褒めすぎれば驕りを、罰しすぎれば恨みを生む。
公平性と節度ある運用が、健全な人間関係と組織を育てる。
ビジネス用心得タイトル:
「行き過ぎぬ智慧──“ほどよさ”を知る者が、真の信頼を得る」
この章句は、マネジメント・評価制度・人間関係形成などにおけるバランス感覚の重要性を説いています。
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