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争いを恐れず、正しく用いよ

争いは、ただ避けるべきものとして否定してはならない。
世に生き、他と関わる以上、意見の違いや利害の対立は避け得ぬものである。
むしろ、正しく用いられた争いは、進歩と真理の契機となる。

沈黙が美徳とされる場においても、不正に黙して従えば、それは卑屈でしかない。
誠実に異を唱え、正しきを通す争いには、気骨と真心が宿る。
ただし、争うにあたっては、理を忘れず、怒りに支配されてはならぬ。

争いは道を開く手段であって、破壊の目的ではない。
己を押しつけるためではなく、より良き解を求めるためにこそあるべし。

○私一己の意見としては、争いは決して絶対に排斥すべきものでなく、処世の上にも甚だ必要のものであろうかと信ずる 渋沢 栄一. 論語と算盤 (角川ソフィア文庫) (p. 20). (Function). Kindle Edition. 

争いをすべて悪とするのは、浅き理解である。
争いとは、憎しみや破壊のことではない。
それは、自らを磨くための厳しき試練であり、良き刺激である。

孟子が言う通り、
「敵国外患なき者は、国つねに亡ぶ」
安きに流れ、挑戦を忘れた国は、やがて内から腐っていく。
これは国家に限らず、商業、学術、外交、さらには一個人にも同じことが言える。

敵がいるから、己の足元を見つめる。
外圧があるから、内なる力が目覚める。
四囲に挑む者あってこそ、進歩の気概が養われる。

争いは「否」ではなく、「燃料」である。

無風の水面に、波は立たない。
だが、波立たぬ水は、やがて澱み、腐る。
風に抗い、波に揺られてこそ、水は流れを保ち、清さを保つ。

個人の人生においても、敵を持つことは必要である。
他人に否定される経験。
意に沿わぬ批判。
己よりも秀でた者の存在。

これらすべてが、己を深め、己を越えるための道標である。

避けるのではなく、正面から向き合うこと。
争いを恐れず、そこに品格と勝気をもって挑むこと。
それが、真に健全なる発展への礎となる。

成長したければ、争え。
だが、勝つべき相手は、常に他者ではなく、昨日の自分である。

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