フォードが生み出した「エドセル」は、自動車史において類を見ない失敗作として知られている。その開発過程では、フォード社が史上最大規模の調査チームを組織し、アメリカ自動車業界の過去40年にわたる記録を徹底的に洗い出し、さらにそれをコンピュータで解析するという前例のない手法が用いられた。
コンピュータが導き出した結論は、「アメリカの消費者は所得に応じて車を購入する」という単純なものだった。この結論をもとに企画・製作されたエドセルは、しかし、まったくと言っていいほど消費者の支持を得られず、最終的には大量の在庫がスクラップとして処分される結果に終わった。なぜこれほどまでに失敗してしまったのか、その原因を探る必要がある。
フォードにとって不運だったのは、二年間にわたる調査期間の間に、消費者の自動車購入に対する姿勢が大きく変化していたことだ。かつては「所得に応じて買う」という傾向が主流だったが、その間に「好みに応じて買う」という新たな価値観が広がりつつあった。この変化を捉え損ねたことが、エドセルの失敗につながったと言える。
この変化をコンピュータが捉えることができなかったのは、それが「質的な変化」であり、数値として表現することができない性質のものだったからだ。コンピュータが得意とするのは、数値やデータとして扱える「量的な変化」であり、消費者の価値観や好みのような定量化できない要素を読み取ることはできなかった。これがエドセルの企画段階での大きな盲点となった。
数値化できないものはコンピュータの領域には入らない。アメリカの消費者の好みが変化していたにもかかわらず、コンピュータがそれを捉えられなかったのは、この性質によるものだ。データとして測定可能な情報しか扱えないコンピュータには、こうした定性的な変化を認識することがそもそも不可能だったのである。
質的な変化を数値化できた時点で、それはもはや「質的」なものではなくなってしまう。そして、その変化が数値化される頃には、すでに事態は進行しており、長期的な戦略を立てるには手遅れとなっている。こうしたズレが、エドセルのような失敗を引き起こす大きな要因となるのだ。
フォードの誤りは、「消費者の好みは変わらない」という非現実的な仮定にもとづいて、過去の膨大な記録を調査したことにある。ただし、実際にはそんなことを本気で信じていたわけではないだろう。もし本気で信じていたのなら、過去40年分の資料を徹底的に調べ上げるという無駄な作業をわざわざ行うはずがない。むしろ、そうした調査に依存した時点で、根本的な認識のズレがすでに生じていたと言える。
コンピュータは数値化されたデータしか扱うことができない。その一方で、企業の戦略的な決定は、数値化された過去のデータではなく、より高度で次元の高い、数値化不可能な質的な情報に基づいて行われるべきものだ。量的な情報だけを処理できるコンピュータに頼る限り、戦略的に正しい判断を下すことは期待できない。コンピュータを活用する際には、この限界を十分に理解し、それを補完する視点を持つことが不可欠だ。
しかし、コンピュータの数値化能力は驚異的だ。超高速の演算速度、膨大な記憶容量、そして疲れを知らないタフさだけでも圧倒されるが、その能力は幾何級数的に向上し続けている。加えて、小型化が進む一方で、ディスプレイ装置による視覚化の進化も目覚ましい。図形化やカラー表示に加え、外国語の翻訳や、人間の言葉を話す機能まで実現してしまう。これらの進歩は、技術の可能性をさらに広げている。
まさに、コンピュータに不可能なことなどないと思えてくるほどだ。この技術的な進化を見ると、戦略的決定すらコンピュータに任せられるのではないか、という幻想が広がるのも無理はない。しかし、それが現実に可能かどうかは別問題であり、過信が誤った結論を招くリスクもある。
しかし、コンピュータは決して万能ではなく、人間を支配する存在でもないという事実を理解しておく必要がある。そもそも、支配されたくなければ電源を切るだけで事足りるのだ。これが可能なのは、コンピュータが本質的に大きな、いや、決定的な制約を抱えているからにほかならない。その制約こそが、コンピュータが人間に取って代わることのできない理由でもある。
この制約とは何かを正確に理解し、それによってコンピュータに何ができ、何ができないのかを見極めることが重要だ。コンピュータの能力を正しく評価し、その限界を踏まえた上で活用しなければ、誤った期待や過信によって重大な失敗を招くことにもなりかねない。
こうした理解があってこそ、初めてコンピュータを事業経営に有効活用することができる。また、過去に見られたようなコンピュータ公害とも言える事態を繰り返さないためには、この視点を欠かしてはならない。コンピュータはあくまで道具であり、その役割を正しく認識することで、初めて本来の価値を発揮させることが可能になる。
コンピュータが人間にとって有益な存在になるか、それとも害を及ぼす存在になるかは、コンピュータ自体の問題ではなく、それを扱う人間の在り方にかかっている。最終的に、コンピュータを支配し、その使い道を決めるのは人間である。責任もまた、人間側にあることを忘れてはならない。コンピュータはただの道具であり、その力をどう使うかが問われているのだ。
コンピュータによる戦略的決定が難しい理由は、コンピュータの持つ「数値データのみを扱う特性」にあります。フォードの「エドセル」の失敗例は、これを象徴しています。フォードはアメリカの自動車市場の過去40年のデータを徹底的に調査し、コンピュータで分析しました。しかし、データが示した「消費者は所得に応じて車を買う」という結論は、当時急速に変わりつつあった「好みに応じて車を選ぶ」という消費者の価値観の変化を捉えられず、結果的に市場での失敗を招いたのです。
1. コンピュータの数値データ依存
コンピュータは数値データ、すなわち量的情報を処理する能力には長けています。しかし、消費者の嗜好や価値観、文化の流行といった質的な変化は数値化が難しく、こうしたデータはコンピュータの計算には含まれません。戦略的な意思決定には、こうした質的な変化の理解が欠かせません。
2. 過去データの限界
コンピュータが参照するデータは基本的に過去のものです。戦略的な決定には未来の動向を予測する視点が不可欠ですが、過去のデータからの推測には限界があります。フォードのケースでも、過去のデータに基づいた分析では、当時の消費者の価値観の急速な変化を見落とし、競争力のある製品を生み出すには至りませんでした。
3. 質的判断の欠如
戦略的決定には、データの解釈を超えた「人間的な洞察力」や「直感」が重要です。質的な要素を直感的に捉えることは人間の独壇場であり、コンピュータには難しいことです。たとえAIが発展したとしても、人間的な経験や価値観を完全に再現するのは依然として難しい課題です。
4. コンピュータの役割と限界の認識
コンピュータは膨大なデータを迅速に処理するという点では強力なツールです。しかし、戦略的な意思決定は「何を目指すのか」というビジョンに基づくものであり、定量化されていない情報も含めて判断する必要があります。このため、コンピュータは「補助的な役割」にとどまり、最終的な判断は人間が行うべきだといえます。
結論
コンピュータは戦略的意思決定において万能ではありません。正しく利用すれば、経営判断に役立つデータ分析やシミュレーションを通じて意思決定をサポートしますが、最終的な戦略的判断には、人間の洞察力や質的な判断が欠かせません。コンピュータの機能や限界をよく理解し、適切な場面で補助的に活用することで、企業はコンピュータを有効に役立てることができます。
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