A化粧品は、日本で最初期に登場した化粧品メーカーの一つだが、今では完全に限界生産者と化している。そのA社のテレビコマーシャルを目にしたが、まさに「天動説」としか言いようがない内容だった。
消費者は自社に絶大な支持を寄せていると信じ込んでいるのか、A社のコマーシャルを見れば、消費者がすぐさまA社の電話番号を調べて連絡し、「テレビでA社の化粧品を見ました。これから購入したいので販売店の連絡先を教えてください」と問い合わせる。そして次に販売店に電話をかけ、「これからA化粧品を買いに行くので、道順を教えてください」と尋ねた上で実際に足を運ぶ、と本気で思い込んでいるらしい。
そうでなければ、そもそもテレビコマーシャルなんて打つはずがない。しかし現実には、テレビのコマーシャルは「トイレ休憩の時間」に過ぎない。たまたまトイレに行くタイミングを逃した時だけ、仕方なくA化粧品のコマーシャルを目にしてしまう、という程度のものだ。
何度か見せられているうちに、A化粧品の名前が頭の片隅に引っかかる。そして、買い物に出かけた際に、陳列棚でA化粧品を目にしてふと興味を持ち、コールドクリームがそろそろ切れそうだったことを思い出して、試しに一つ手に取る。そうしてようやく商品が売れる、という流れだ。
消費者は店頭で目についた商品しか買わない。わざわざ探し回ってまで購入することはまずない。ところが、A化粧品は限界商品ゆえに、デパートやスーパー、専門店のどこにもほとんど陳列されていない。この状況でコマーシャルを打ったところで、それは完全な無駄に終わるだけだ。
N靴店はローカルテレビで年間6000万円もの放映料をかけてコマーシャルを流していた。しかし、これは完全に無駄だった。靴という商品は目的買いでありながら、多くの場合、どの店で買うかはその場の衝動で決まる。だから店単位のコマーシャルには意味がないと助言したところ、放映をやめても売上に全く影響が出なかったのは言うまでもない。
多くの会社が、何かと言えば「テレビのコマーシャル」と口にする。そのたびに、「無駄だからやめたほうがいい」と忠告することにしている。彼らはテレビコマーシャルというものの本質をまるで理解していない。中小企業の場合、「テレビで流せば売れる」と思い込んでいるが、それは極めて限られた例外を除き、まさに「天動説」と同じ発想だ。さらに深刻なのは、そうした会社の社長が本来必要な地道な販売努力を放棄しているという「怠慢」を感じずにはいられない点だ。
テレビコマーシャルを行う前に、まずは長期にわたる地道で苦しい販売促進の努力を重ねるべきだ。その努力が実を結び、商品の知名度が相当程度高まり、有名店の棚に並ぶようになってから、初めてテレビでの広告展開を考えるべきだ。それが商品やブランドにとって本当に意味のあるタイミングと言える。
信州の野沢温泉は、大衆向けスキー場として広く知られている。冬の間はスキー客で大いに賑わうが、春が訪れると一転して閑散とした時期に入る。そして秋になると、徐々に客足が戻り始める。「山は秋」という言葉がぴったりの光景だ。
野沢温泉のS旅館では、秋の集客を図るために「きのこ鍋」を目玉にした企画を立ち上げ、新聞の折込広告を実施した。するとこれが思いのほか反響を呼び、客足が増え始めた。来館者の多くが、「きのこ鍋が食べたい」と直接リクエストしてくるほどの人気を集めたのだ。
これに気を良くしたS旅館の社長は、春の閑散期にも客を呼び込もうと考え、「山菜鍋」を新たな目玉商品に据え、再び新聞の折込広告を実施した。しかし、今回は全くと言っていいほど反響がなかった。秋には効果を発揮したはずのチラシ戦術が、春になると全く通用しない。S社長はその理由がわからず、頭を抱えることになった。
私はS社長に、これは「時期」の問題だと説明した。「山は秋」であり、秋が深まる頃には多くの人が山に出かけたくなる。そのタイミングで「きのこ鍋」の広告を目にすれば、自然と興味が湧き、食べてみたいと思うものだ。しかし、「春は山」とはならない。春の山といえば、まだ枯れ木と薄ら寒さが残る風景であり、わざわざ出かけようという気持ちにはなりにくい。だから、「山菜鍋」の広告を見ても、誰も関心を持たなかったのだ。
人間というものは、「その気」がなければ、どれだけ誘われても動かない生き物だ。たとえば、自動車を買う気がないときにいくら広告を見せられても、心は微塵も揺れない。同じように、タイミングや気分が合わなければ、どんな魅力的な提案でも無駄に終わるのが人間の本質だ。
この単純な原理を理解せず、売れないときこそ広告に頼ろうとする企業はあまりにも多い。たとえば、石油ショック後に住宅購買意欲が冷え込んだ時期、M不動産は1回あたり120万円もの費用をかけて新聞広告を何度も打ち続けた。しかし、結果は悲惨なもので、たった一件の問い合わせすらなかった。購買意欲がない時期にいくら広告を出しても、反応が得られないのは当然のことだ。
過去にこんなことは一度もなかったのに、なぜ今回はこうなったのかという問いに対し、私はその理由を丁寧に説明した。購買意欲が冷え込んでいる時期には、どんなに広告を出しても無駄だと指摘し、即刻やめるべきだと勧告した。広告が全てを解決するわけではないという現実を理解する必要があった。
宣伝広告というものは、タイミングがすべてだ。お客の購買意欲が芽生え始めたタイミングで始め、最盛期に入る前に止めるのが最も効率的である。この短い期間に集中して波状攻撃を仕掛けることが成功の鍵だ。一方で、企業イメージ広告のようなものは、単発では効果を発揮しない。継続的かつ定期的に実施することで、ようやくその真価を発揮する性質のものである。
以上は、コマーシャルに関して特に誤解されやすいポイントを挙げたに過ぎず、紙面の都合上、詳細を述べる余裕はない。本格的に研究するには専門書を紐解くべきだ。私が強調したいのはただ一つ、くれぐれも「天動説」に囚われないことだ。広告が全てを解決する魔法のようなものではないという現実を、冷静に理解しなければならない。
この「天動説」は、広告全般に共通する問題であり、「カタログ」「チラシ」「ポスター」といった他の販促手法にも見事なほど悪い例を提供してくれる。これらもまた、適切な時期や状況を無視して乱発されることで、効果を失い、逆に無駄なコストを増大させる典型例となっている。
コマーシャルや広告の効果を高めるためには、顧客の「その気」が出るタイミングや広告の内容が重要です。化粧品会社Aや靴店Nの事例が示すように、広範なコマーシャルは必ずしも効果をもたらすわけではなく、むしろムダになってしまうこともあります。特に中小企業の場合、テレビコマーシャルを用いる前に、まず商品が店頭に並び、認知度がある程度上がっていることが前提です。認知度が低く、店頭に陳列もされていない状態では、コマーシャルはほぼ無意味といえます。
また、広告が成功するかどうかは「時期」と「顧客の興味の波」によります。例えば、野沢温泉の「きのこ鍋」の広告は秋の「山に行きたい気分」にマッチしていたため効果を発揮しましたが、春の「山菜鍋」には反応がありませんでした。このように、時期を外したり、購入意欲が低い時期に広告を打つと、反響はほとんど期待できません。住宅や自動車のように、購入サイクルが長い商品では特にこの原理が顕著です。
効率的な広告とは、顧客が購入に意欲を持ち始める時期に短期集中で実施し、買い気が高まった時に波状攻撃的にアピールすることです。また、企業イメージ広告のように長期的な信頼を築く広告は、定期的な継続が鍵です。
広告やコマーシャルを行う際は、「出せば売れる」という「天動説」的な考えを避け、顧客の視点から内容とタイミングを慎重に設計することが大切です。
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