人間の本性や本心が清く澄みきっていれば、
たとえ食べるものが粗末で、生活が質素であっても――
お腹が空けば食べ、喉が渇けば水を飲む――それだけで心身は健やかに保たれる。
反対に、もし心が曇り、沈み、迷いの中にあるならば、
どれほど高尚な禅の理を語っても、
どれほど荘厳な偈(げ)を唱えても、
それはすべて、精神をもてあそび、魂をかき乱す行為にすぎなくなる。
「性天(せいてん)澄徹(ちょうてつ)せば、即(すなわ)ち饑(う)えて喰(くら)い渇(かわ)して飲(の)むも、身心(しんしん)を康済(こうさい)するに非(あら)ざるは無し。心地(しんち)沈迷(ちんめい)せば、縦(たと)い禅(ぜん)を談(だん)じ偈(げ)を演(えん)ぶるも、総(すべ)て是(こ)れ精魂(せいこん)を播弄(はろう)せん。」
健康とは、まず心の清らかさから始まる。
禅の教えに通じていなくても、贅沢なものを食べていなくても、
澄んだ心があれば、それだけで十分に健やかに生きていける。
そして、そのためには、何事も「ほどよく」を意識することが大切なのだ。
※注:
- 「性天澄徹」…生まれながらの本性・心が清らかで濁っていないこと。
- 「康済」…健康で、心身が安らぎ満たされていること。
- 「沈迷」…心が沈み、迷いにとらわれている状態。
- 「偈(げ)」…仏教における詩文や真言。形式ばかりに頼れば空疎にもなる。
- ※『養生訓』(貝原益軒)は、「心気を養うことが養生の第一」としつつ、食の節制も強調。
- ※徳川家康も「朝夕の食が大事」と説いた。心と食、どちらも軽視すべきでない。
- ※『論語』には顔回の質素な暮らしと勉学を称賛する一方で、孔子自身の食事への細やかな配慮も描かれている。
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