ごたごたとした騒がしい環境に身を置くと、
普段はしっかり記憶していたはずのことまで、
うっかり忘れてしまうようなことが起こる。
一方で、静かで清らかな場所に身を置くと、
かつて忘れていたような昔の記憶でさえ、
ふと、鮮やかに思い出されることがある。
このように、「静」と「躁」の違いが、思考や記憶の明晰さを大きく左右する。
まさに、環境によって「昏(こん)と明(めい)」――ぼんやりと冴え――は一変するのだ。
したがって、静かな時間や空間を日常の中に取り入れることは、
思考力・記憶力・創造性の回復と発展に欠かせない養分となる。
引用(ふりがな付き)
時(とき)、喧雑(けんざつ)に当(あ)たれば、則(すなわ)ち平日(へいじつ)記憶(きおく)する所(ところ)のものも、皆(みな)漫然(まんぜん)として忘(わす)れ去(さ)る。
境(きょう)、清寧(せいねい)に在(あ)れば、則ち夙昔(しゅくせき)遺忘(いぼう)する所のものも、又(また)恍爾(こうじ)として現前(げんぜん)す。
見(み)るべし、静躁(せいそう)稍(やや)分(わか)かるれば、昏明(こんめい)頓(とみ)に異(こと)なるを。
注釈
- 喧雑(けんざつ):騒がしく、秩序のない環境。心を乱す外界の状況。
- 漫然(まんぜん):うっかりと。注意散漫な状態。
- 清寧(せいねい):清らかで静か。心も落ちつく環境。
- 夙昔(しゅくせき):昔、以前。長く忘れていた過去。
- 恍爾(こうじ):はっきりと、ありありと目の前に浮かぶさま。
- 昏明(こんめい):頭がぼんやりしているか、はっきりしているかの状態。
関連思想と補足
- 本項は、静寂が精神や知性に及ぼす効果を示した『菜根譚』における非常に実践的な知恵である。
- 現代の心理学・脳科学でも、静かな環境が集中力や創造性の向上に寄与することが明らかになっており、まさに科学と思想が一致している。
- 瞑想・森林浴・デジタルデトックスなど、現代的な実践方法ともつながる内容。
原文:
時當喧雜、則平日記憶者皆漫然忘去。
境在清寧、則夙昔遺忘者又恍爾現前。
可見、静躁稍分、昏明頓異也。
書き下し文:
時、喧雑に当たれば、則ち平日記憶する所のものも、皆漫然として忘れ去る。
境、清寧に在れば、則ち夙昔遺忘する所のものも、また恍爾として現前す。
見るべし、静躁稍分かたば、昏明頓に異なるを。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「時、喧雑に当たれば、則ち平日記憶する所のものも、皆漫然として忘れ去る」
→ 日々が騒がしく雑多な状況になると、普段記憶していることすら、ぼんやりとして思い出せなくなる。 - 「境、清寧に在れば、則ち夙昔遺忘する所のものも、また恍爾として現前す」
→ 静かで澄んだ環境に身を置けば、昔忘れていたことさえも、ふと現れるように思い出せる。 - 「見るべし、静躁稍分かたば、昏明頓に異なるを」
→ これを見れば、心の静けさと騒がしさが少しでも分かれれば、精神の曇りと明るさが一変することが分かる。
用語解説:
- 喧雑(けんざつ):騒がしく混乱しているさま。外界や内面の混乱。
- 漫然(まんぜん):ぼんやりと、目的もなく、注意を払わずに。
- 清寧(せいねい):澄み切って静かなこと。心が穏やかで澄んだ状態。
- 夙昔(しゅくせき):昔、かつてのこと。
- 恍爾(こうじ):ふと、突然に、自然に。
- 現前(げんぜん):目の前にはっきりと現れること。
- 静躁(せいそう):静けさと騒がしさ。心の落ち着きと混乱の対比。
- 昏明(こんめい):曇りと明るさ、つまり精神の鈍さと明晰さ。
全体の現代語訳(まとめ):
日々が忙しく騒がしいと、普段覚えていたはずのことさえも忘れてしまう。
しかし、心が落ち着き、静かで澄んだ環境にあれば、かつて忘れていたことまでがふと蘇ってくる。
このことからも分かるように、心の静けさと騒がしさが少しでも違えば、精神の明晰さにも大きな違いが生じるのだ。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「心の静けさが、記憶や洞察、創造性をよみがえらせる」**という、精神の働きに関する深い洞察を述べています。
1. 静けさが“知性”を呼び戻す
- 騒がしい日常は記憶力や注意力を鈍らせる。
→ 静けさは、かつての思考や感情、経験を再び引き出してくれる。
2. 環境は心の状態を変える
- 外の喧噪ではなく、内なる“清寧”こそが創造力と回想力を生む。
→ 知的な活動には“静寂”が不可欠。
3. 静躁の違いが、精神の曇りと明晰を分ける
- ほんの少しの静けさでも、思考のクリアさは一変する。
→ 心を鎮める習慣が、日々の質を大きく変える。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「雑音の中では、考えがまとまらない」
- 常に通知が鳴る状態では、集中も記憶も断片化する。
→ 1人静かに考える時間=最強の思考投資時間。
2. “静かな時間”が創造力と戦略を支える
- 忙しいときこそ、静けさが次の打ち手を生む。
→ 週に一度、会議も通知もない“静寂会議”を設けるなど、制度設計がカギ。
3. 「思い出せない」「考えがまとまらない」は、脳の問題ではない
- それは“静けさ”不足のサイン。
→ マインドフルネスや“思索の間”を組織に取り入れることが、長期的成果につながる。
ビジネス用心得タイトル:
「静けさは記憶を呼び、思考を磨く──混乱の中でこそ静寂の力を信じよ」
この章句は、“静”という状態がもたらす知的・感情的回復力の大きさを示しています。
現代社会は“情報の洪水”に溺れがちですが、心を澄ませることでこそ、
本当に大切な記憶、アイデア、判断力がよみがえってきます。
コメント