MENU

熱のあとに冷を知り、騒のあとに静の滋味を知る

夢中で駆け抜けた時間も、あとから振り返ってみれば、果たして本当に意味があったのかと疑問が湧く。
熱に浮かされたように奔走した日々――それは実のない空回りだったと、冷静な今になってはじめて気づくものである。
また、あくせくと煩雑な状況を抜け出し、静かな時間を得ると、その落ち着いたひとときの豊かさが、何にも代えがたいものであると感じられる。
心が冷めてこそ、真の価値が見える。
にぎやかさの中では見過ごされる「静けさの味わい」は、人生における最も深い潤いとなる。


引用(ふりがな付き)

冷(れい)より熱(ねつ)を視(み)て、然(しか)る後(のち)に熱処(ねっしょ)の奔馳(ほんち)の益(えき)無(な)きを知(し)る。
冗(じょう)より間(かん)に入(い)りて、然る後に間中(かんちゅう)の滋味(じみ)最(もっと)も長(なが)きを覚(おぼ)ゆ。


注釈

  • 冷より熱を視る:冷静になってから熱中していた自分を見返すこと。冷却された視点。
  • 奔馳(ほんち):あちこち駆け回ること。むやみに活動的になるさま。
  • 冗(じょう):多忙で落ち着かない状態。わずらわしさを伴う。
  • 間(かん):静けさ、余裕、ゆったりとした時間。心の余白。
  • 滋味(じみ):味わい深さ。人生の静かな喜びや深い満足感。
  • 長き(ながき):最も永続的で価値のあるもの。深く残る感覚。

関連思想と補足

  • 『菜根譚』前集26条では、「事後にこそ物事の真価が見える」と説かれ、本項と強く通じている。
  • 禅の思想や老荘思想における「静中の悟り」「無為自然」の概念と深くつながる。
  • ビジネスや現代の多忙な生活においても、「一息ついて振り返ること」が、真の学びと気づきをもたらす。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次