― どの道を選ぶかが、あなたの“仁”のありかを決める ―
孟子は語る。
「矢をつくる職人(矢人)は、鎧をつくる職人(函人)よりも不仁というわけではない」
つまり――
どちらも、ただの“技術者”であって、人格に優劣があるわけではない。
しかしその「心の向かい方」は正反対になる。
- 矢人は、「自分のつくった矢が、よく刺さるものでなければ困る」と考える。
- 函人は、「自分のつくった鎧が、人を守れなければ困る」と考える。
どちらも誠実で技術に忠実であるが、
結果として、矢人は人を傷つけるための技術を志向し、
函人は人を守るための技術を志向するということになる。
技術の方向性が「仁」か「不仁」を決めていく
孟子はさらに例を挙げる:
- 巫女(巫):人の病を治す者。助けることを目的とする。
- 棺桶職人(匠):人の死によって商売が成り立つ者。
どちらも必要な職であるにもかかわらず、
志の方向性が「救う」か「終わりを扱う」かで、根本的に心のあり方が異なる。
結論:術(職業)は、慎んで選ばねばならない
孟子は、こう断言する。
「故に、術(じゅつ)=職業や技術は、慎重に選ばねばならない」
それは――
どんな職に就くかによって、自分の“仁”が育ちやすいか、損なわれやすいかが決まるからである。
孟子は職業そのものを否定しているわけではなく、
「その職を通して、仁を育めるかどうか」を問うているのだ。
たとえば、どんなに誠実に殺人技術を磨いても、それが人を救う方向につながらなければ、
仁を貫くことは極めて難しくなる。
だからこそ、「道徳の完成」に通じる職を選ぶべきだと孟子は言う。
この章は、孟子が**“職業倫理”と“道徳成長”との深い関係**を説いた稀有な一節です。
現代社会でも、自分が関わる仕事が「人を生かすか・損なうか」に向き合うべき理由を、孟子は2500年前から語っていたのです。
原文
孟子曰、矢人豈不仁於函人哉。
矢人惟恐不傷人、函人惟恐傷人。
巫匠亦然。故術不可不愼也。
書き下し文
孟子曰く、矢人は豈(あ)に函人より不仁ならんや。
矢人は惟(ただ)人を傷つけざらんことを恐れ、
函人は惟人を傷つけんことを恐る。
巫匠もまた然り。故に術は慎まざるべからざるなり。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「孟子は言った。矢人(射手)は、果たして函人(防具職人)より不仁であろうか?」
- 「矢人は、人を傷つけられないことを恐れている。」
- 「一方、函人は、人を傷つけてしまうことを恐れている。」
- 「占い師や職人(巫匠)も同じである。」
- 「だから、技術や技能を持つ者は、その使い方を慎重にしなければならないのだ。」
用語解説
- 矢人(しじん):弓矢の名手、武術者。戦場での攻撃者を象徴。
- 函人(かんじん):防具(鎧や盾)を作る職人。防衛・保護を意図する。
- 巫匠(ふしょう):占いや祭祀を行う者や工匠(職人)。道具や知識を用いる職業人の象徴。
- 術(じゅつ):技術・能力・スキル。ときに知識や手段を含意する。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は言った:
「弓の名手である矢人は、防具を作る職人(函人)より非情であると言えるだろうか?
実はそうではない。矢人は、“敵を確実に傷つけられなかったらどうしよう”と恐れ、
一方、函人は、“自分の防具が相手を傷つけてしまうのではないか”と恐れている。
占いや道具を扱う者(巫匠)もまた同じで、
それぞれが持つ技能・技術には使い方の姿勢と責任が問われる。
だからこそ、術(わざ)を持つ者は慎重でなければならないのだ。」
解釈と現代的意義
◆ 技術そのものは善悪を持たないが、使う者の姿勢が問われる
- 矢人も函人も、矛盾した恐れを抱えている。どちらが「悪」なのではなく、
それぞれの立場で“どう結果を恐れるか”という価値観が異なるだけ。
◆ 技術者・専門家の倫理責任
- 技術が高度になればなるほど、「それをどう使うか」が倫理問題になる。
たとえばAIや医療技術、SNS、マーケティング、法務などにおいて、
その専門性が人を助けることもあれば、傷つけることもある。
ビジネスにおける解釈と適用
「スキルは中立──だから“姿勢”が結果を分ける」
- 売上至上主義の営業は、“刺さらないこと”を恐れ、
一方、誠実なカスタマーサポートは、“相手に傷を残さないこと”を恐れる。 - システム開発においても、“攻撃的に支配するUI”と“ユーザーを迷わせないUI”の設計思想には、
開発者の倫理観が反映されている。
「専門性は武器にも盾にもなる」
- 弁護士、コンサルタント、エンジニア、デザイナーなど――
高度な専門性を持つ人材は、それだけで“人に影響を与える力”を持つ。 - だからこそ、自分の技術が“何をもたらすか”に対して、常に慎重であれという教訓。
ビジネス用の心得タイトル
「“技術”は刃にも盾にもなる──“術”を慎む者が信頼を得る」
この章句は、ただの道徳教訓ではなく、
現代のビジネスや社会における専門家倫理の核心を突いています。
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