『バガヴァッド・ギーター』は、人生を通して「ブラフマンの知識」に至るための二つの道を示している。
アルジュナよ、この世には二種の立場があると、前に私は述べた。すなわち、知識のヨーガによるサーンキャ(理論家)の立場と、行為のヨーガによるヨーギン(実践者)の立場とである。(第 3章 3節)
一つは、すべての役割や義務を捨てて真理のみに生きるサンニャーサ(出家の道)。
もう一つは、社会の中でなすべき行為を果たしつつ、真理を求めて歩む**カルマ・ヨーガ(行為の道)**である。
サンニャーサは、世俗を離れ、欲望を手放し、静寂のなかで真理と向き合う生き方である。
その道では、外の責任は少ないが、内なる統制と集中が求められる。
だが誰もがこの道を選べるわけではない。
なすべき責任、満たされていない願望を抱えたまま進めば、かえって心は乱れる。
一方、カルマ・ヨーガは、家庭や仕事、社会的責任を全うしながら生きる道である。
この生き方は、行為を執着なしに果たし、その行為を通じて心を磨き、知を深めることにある。
義務を重荷とせず、修行とみなしながら進む者にとって、日々の営みがそのままヨーガとなる。
両者に優劣はない。
道の選び方は、その人の心の成熟度、欲望の有無、社会的立場によって異なる。
重要なのは、どちらの道を選ぶにせよ、自らの足元に忠実であること。
見栄や理想によって道を誤れば、自己否定と挫折の原因となる。
アルジュナは戦士であり、役割を持つ者であった。
だからこそクリシュナは彼に、カルマ・ヨーガを歩むことを勧めた。
真理は、どちらの道からも開かれている。
必要なのは、心の静けさと、自らの立場を正しく見つめる智慧である。
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