報告会を通じた目標達成の重要性について考えます。階層別の報告会を行うことで、コミュニケーションの向上と時間の節約が実現します。
さらに、報告会は表現力の訓練の場でもあり、これは今後の幹部にとって必要なスキルです。自分の意見や考えを明確に伝えることができなければ、任務遂行は難しいでしょう。
報告会は目標達成を後押しする場でもあり、誇りをかけて成果を発表し、自己啓発を促します。ただし、成果が不十分な場合、メンツを守るために理由を示すことが求められます。
しかし、その理由を追求しすぎることは、建設的な議論を阻害し、責任の所在を不透明にします。
結局、報告会は目標達成の方策を重視すべきで、具体的で前向きな提案が求められます。原因追求は必要ですが、会議ではなく、自己統制の段階で行うべきです。
報告会は目標達成のためのプラットフォームであり、指導者と担当者が共に学び、成長する場でもあります。
チェックは報告会で
チェックは、階層別の報告会でやるのがよい。個人個人と相対でチェックするよりは、報告会でするほうが左右のコミュニケーションにもなるし、時間も節約される。
そのうえ表現力の訓練になる。
表現力は、これからの企業の幹部にとって、非常に大切な条件の一つである。上司に対し、同僚に対し、部下に対し、自分の考えを誤りなく伝えられずに、任務を果たすことはできないからである。
別の意味で、報告会は、それ自体が目標達成の推進力をもっている。それは、人間だれしも誇りをもっている。
その誇りにかけても、あまりおかしな結果を同僚の前で発表するのでは、メンツをつぶすことになる。これは、一回メンツをつぶすと、あとはこれにこりて努力をするからである。
ある販売会社では、毎月成績に応じて席次をかえている。これも効果的にする方法の一つであろう。
報告会の時間は経営計画に明示されているから、期日について数日前に通知をする。この会には、担当者が簡単な報告書をコピーして参加者全員に配布するのもよい。
報告会では、上司によってまず会社の成果が目標と対比されて報告される。
つぎに各自の目標について、必ず持ち時間をきめて、この枠の中で要領よく報告するよう工夫させることである。
これが訓練である。
持ち時間をきめないと、ダラダラして、けじめのつかない会議になる。
報告で大切なことは、報告事項として、一目標二実績三不達成事項の対策にかぎるということである。
ところが、先生がたは「不達成の原因を究明し」というような、まったく間違った指導をせよというのだから、困ったものである。
不達成の原因を究明することは厳禁しなければならない。不達成の原因をいくら究明してみても、不達成の事実を変えることはできないのだ。
これは、時間のムダだけでなく、大きな弊害をともなう。不達成の原因を追及した瞬間から、それは報告会ではなく、裁判になってしまうからである。
上司が検事兼裁判長、担当者が被告兼弁護士である。
この裁判は必ず被告兼弁護士が勝つ。というのは、どんなバカでも必ず満点の答えができる。
雨が降った、風が吹いたが、担当者にとっては、りっぱな理由になるのだ。
もしも、上司が満点の答えに対して、うなずいたり、意見をいわずにいたら、「上司が了解したのだから、これまでの不達成はご破算だ」と自分に都合のよい解釈をするのが人間なのだ。
このようになったら、不達成の責任は、いったい、だれにあるのかわからなくなってしまう。
それとは逆に、上司が担当者の述べる理由について、追及したり、反論したりすれば、上司はムリをいう、そんなに都合よくいかない、そんなにやさしいのなら、上司が自分でやったらいい、ということになる。
上司に対して不信の念を起こすのだ。
どちらにしても、不達成の理由をいわせると、責任の所在が不明になり、目標達成の至上命令がボヤケてくるおそれが多いのだ。
だから、不達成の原因や理由は、絶対にいっても、いわせてもいけないのだ。火事は、原因を調べることより消すことが先決なのだ。
不達成目標は、その理由をきくことではなくて、不達成事項を取り返すことなのである。だから、不達成目標に対しては、原因はきかずに、前向きの対策をいわせることなのだ。
では、原因の探求はしなくてもよいのか、ということになる。原因の探求は絶対に必要なのである。
筆者がいうのは、それを会議の席上でやってはいけないというのだ。会議は裁判ではなくて、前向きの決定をする場だからである。
原因の探求は、担当者が自ら報告会の前に行い、その対策を自ら考えるのである。これが自己統制なのだ。
担当者は、こうして自分できめた対策をもって会議にのぞむのである。
重ねて強調する。
原因の探求は、自己統制の段階で対策をねるときに行うことであって、報告会でやることではないのだ。
筆者の経験では、一〇社のうち九社以上は、不達成の原因を会議の席上で追及している。
そのために、後向きのつるしあげ会になってしまい、責任の所在があいまいになり、前向きの建設的討議がなされないでいるのは、はなはだ残念である。
報告会は、あくまでも、目標を達成する方策に焦点を合わせるべきである。上司の、目標達成の決意を示すものが対策をいわせる、ということになってあらわれるのだ。
したがって、その対策は抽象的なものは許されない。あくまでも具体的なものでなければならない。
もしも、この対策がいいかげんであったり、具体性がなかったら、どこまでも追及してゆくことが大切なのである。追及は、不達成に関してするものではなく、将来の達成に対して行うものなのである。
しかし、報告会の席上では、あまり追及することは、議事の進行を阻害するから、日をあらためて、とことんまで担当者と方策をねるのである。
この場合も、いつ、何時に行うかを必ず明示することである。はなはだしい不達成については、もう担当者に任せておくことはできない。
自ら乗り出して解決に当たるのだ。これが例外管理である。このときに、担当者をさしおいてやってはいけない。
本人のメンツだけでなく、自信をもなくさせてしまうからである。担当者を通じて解決してみせるのである。
担当者は、自分がやってできなかったことだけに、上司の解決のやり方をみて、自分のやり方、考え方のたりなかったこと、間違っていた点を痛切に反省するし、啓発されるのだ。
これが本当のOJTなのである。部下を教育する最良の場は、部下のたずさわっている仕事それ自身なのであることを、忘れてはならないのだ。
このようにして、どこまでも目標達成を要求し、指導するのが上司の役目であり、目標を達成することが担当者の責任なのである。
目標は上司の決意であり、チェックは執念のあらわれである。執念のない決意は、障害の前についえ去る危険があり、制約条件と早ばやと妥協しがちになるのである。
あくまでも執念をもってねばり抜くのだ。このねばりが、目標達成の成否をきめる大切な鍵なのである。定期的にチェックしないのならば、目標など設定しないほうがよい。
きれいごとの自己統制で目標管理ができるのは、「紙の上」だけの話なのである。それほど目標達成は苦しく、むずかしいものなのだ。
このようなチェックを行うと、チェックを受ける側はどのように受け取るだろうか。
それは、某社の某課長が筆者に語った言葉で代表されよう。
その要旨は、「従来の報告会は、何も準備せずに出席できた。不達成の理由を追及されるのはありがたくないけれど、それに対して、いいわけの機会が与えられる。それには、常に自然に準備された理由があった。
その結果、不達成が正当化され、責任がウヤムヤになっていった。
ところが、新しいやり方は苦痛だ。
伝家の宝刀であるいいわけをピタリと封じられてしまい、おまけに、不達成の対策をもって会議に出なければならない。
準備をしないと会議に出られない。ヒドイですよ……」と、そしてその後のつけたしの言葉が傑作である。
「しかし、これが本当ですね」
まとめ
報告会は目標達成の執念と前向きな決断を強調する場である。階層別の報告会でチェックを行うことは、コミュニケーションを促進し、時間を節約し、表現力の訓練にもなる。表現力は幹部にとって重要であり、意見や考えを的確に伝えることが必要だからである。
報告会は目標達成を推進し、メンツを守る一因ともなる。対策の具体性が求められ、抽象的な提案は避けられる。不達成の原因追及は、会議の場ではなく、自己統制の段階で行われるべきであり、前向きな対策に焦点を合わせるべきだ。目標達成は上司の決意であり、チェックは執念と責任の表れである。
上司と担当者は共に努力し、不達成の理由を探求する場面で学び、成長する機会でもある。チェックを受ける側も、準備と責任を強調し、前向きなアプローチで目標達成を追求する姿勢が求められる。報告会の進化は、効果的な目標管理と成果達成に寄与するものである。
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