幼いころから正しき姿を見て育った者は、やがて自然にその徳を身につける。
太宗の皇太子(のちの高宗)は、ある日、父帝が激怒して部下を処刑しようとした場に居合わせ、命がけでこれを諫めた。周囲の者は「皇太子が帝の機嫌を気にせず諫言するなど前代未聞」と驚いたが、太宗はこう語る――
「人はともに過ごせば、自然と染まるもの。私が正直な諫言を喜んで受け入れる姿を、皇太子は日々見ていた。だからこそ、今日のようなまっすぐな行動ができたのだ」と。
人は言葉で教わるだけでなく、日常の姿から影響を受け、心の芯がつくられる。真に徳を伝えるには、まず自身のあり方を正すことが第一である。
原文(ふりがな付き引用)
「夫(そ)れ人(ひと)久(ひさ)しく相(あい)与(とも)に処(お)れば、自然(しぜん)に染(そ)まる。
自(よ)りて天下(てんか)を御(ぎょ)してより、虚心(きょしん)にして正直(しょうじき)を貴(たっと)び、即(すなわ)ち魏徴(ぎちょう)有(あ)りて朝(あさ)に夕(ゆう)に諫(いさ)む。
魏徴(ぎちょう)云(い)い去(さ)ってより、劉洎(りゅうき)・岑文本(しんぶんぽん)・馬周(ばしゅう)・褚遂良(ちょすいりょう)等(ら)これに継(つ)ぐ。
皇太子(こうたいし)は幼(おさな)くして膝下(しっか)に在(あ)り、毎(つね)に諫(いさ)むるを心(こころ)より喜(よろこ)ぶを見(み)て、因(よ)りて染(そ)まりて性(せい)と為(な)す。故(ゆえ)に今日(こんにち)の諫(いさ)め有(あ)り」
注釈
- 染まる:身近な人の態度や思想に影響され、自然と自分の性質も似てくること。
- 虚心:偏見なく素直な心。諫言を受け入れる基盤となる徳。
- 犯顏(がんをおかす):主君の機嫌を顧みずに諫めること。忠臣の象徴的な行動。
- 魏徴:唐代の名臣。太宗の諫臣として知られ、日々の言動で皇帝を導いた。
ありがとうございます。以下に『貞観政要』より、太宗の怒りを皇太子(後の高宗)が直諫した場面と太宗の感想を、定型の構成に従って整理いたします。
『貞観政要』より(太宗の怒りと皇太子の直諫)
1. 原文:
太宗嘗て苑西監の穆裕に怒り、命じて堂上にてこれを斬らんとす。
時に皇太子(高宗)が即座に顔色を犯してこれを諫め、太宗の怒りはようやく収まった。
司徒・長孫無忌が言った:
「古来、皇太子の諫言というものは、機を見て穏やかに語るのが常です。
しかし今回、陛下の御怒りが頂点に達したその瞬間に、皇太子があえて正面から進言された。
これは古今に例のないことでございます。」
太宗は言った:
「人が長く共に暮らせば、その気風に染まるものだ。
朕が天下を治めてからは、虚心にして正直を求め、魏徴が昼夜を分かたず諫めてくれた。
魏徴の後は、劉洎・岑文本・馬周・褚遂良らが次々と続いた。
皇太子は幼少より朕の膝下にあり、これら諫臣の心からの忠言を日々見て育った。
それゆえ、今日このような進言ができたのだ。」
2. 書き下し文:
太宗、かつて苑西の監督官・穆裕に対して怒りを覚え、堂上で斬首せんと命じた。
その時、皇太子(のちの高宗)は、即座に父である太宗に対し顔色を犯して諫言した。
これにより、太宗の怒りはようやく静まった。
司徒・長孫無忌はこれを見て言った:
「古来、皇太子の諫言とは、機会をうかがい、穏やかに申し上げるものです。
しかし陛下が天威を発しておられたまさにそのときに、
皇太子が面と向かって諫言をされたことは、古今未曽有のことでございます。」
太宗はそれに対してこう述べた:
「人というものは、長く共に暮らせば自然とその気風に染まる。
朕が天下を治めて以来、常に心を空しくして正直を求め、魏徴が昼夜分かたず進言してくれた。
その魏徴の後も、劉洎・岑文本・馬周・褚遂良らが続いて忠言を尽くした。
皇太子は幼いころから私のそばにいて、それら忠臣たちの諫言の姿を見て育った。
ゆえに、今日のような進言ができたのだ。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「太宗は穆裕に対して怒り、すぐに処刑を命じた」
→ 衝動的な判断が下されようとした。 - 「皇太子(のちの高宗)がその場で顔色を変えて父に直諫した」
→ 恐れを乗り越え、父帝に忠言を行った。 - 「長孫無忌は『古今未曽有の忠勇な行為』と称賛した」
→ 君主の怒りの最中に進言することの困難さと価値を強調。 - 「太宗は、日頃からの忠臣たちの諫言が、皇太子の人格を形成したのだと振り返った」
→ 諫言文化の継承と、教育・環境の重要性を認識。
4. 用語解説:
- 苑西監(えんせいかん):皇帝の苑(園林・狩猟地)を管理する官職。穆裕はその監督官。
- 堂斬(どうざん):堂上(公的な場)での即時処刑の命令。非常に重い処罰。
- 犯顔諫(はんがんかん):顔色を犯して諫める。君主の怒りを恐れずに諫言すること。
- 魏徴(ぎちょう):唐代を代表する諫臣。直言をもって知られ、太宗に重用された。
- 褚遂良(ちょすいりょう):唐代の名臣・書家。進言・忠直の精神を持つ人物。
- 長孫無忌(ちょうそんむき):太宗の義兄。保守的かつ礼法を重んじる政治家。
5. 全体の現代語訳(まとめ):
太宗が役人の穆裕に激怒し、堂上での即刻処刑を命じようとした際、
その場に居合わせた皇太子(後の高宗)は、恐れることなく父帝に向かって直諫し、その命を止めさせた。
この行動に対し、重臣の長孫無忌は「皇太子の進言は、古今に例のない勇気と忠義の行動である」と称賛。
太宗はそれを聞き、魏徴をはじめとする忠臣たちの進言を、幼い皇太子が日々そばで見て育ったことが、
今日の行動に繋がったと感慨深く述べた。
6. 解釈と現代的意義:
この章句は、**「リーダーの怒りに対し、誰が諫められるか」**という問いに対して、
**「諫言文化の継承」「環境による人材育成」「進言の勇気とその評価」**という三つの重要な要素を描いています。
太宗は、忠言が風土となっていたからこそ、皇太子にもその精神が自然と宿ったと認識しました。
これは、信頼・率直・誠意が連鎖し、未来のリーダーを育てるという教訓です。
7. ビジネスにおける解釈と適用:
✅「トップの暴走を止めるのは、現場の声と“育てた文化”」
部下が上司に物申せる文化がない組織は、危機に対応できない。
✅「忠言は一朝一夕には生まれない。日々の姿勢が人をつくる」
高宗の勇気ある行動は、魏徴たちの姿と太宗の受容姿勢を“見て育った結果”。
✅「批判を歓迎する文化が、組織を継続的に健全に保つ」
“諫言が許される空気”が組織の免疫力を高める。
8. ビジネス用心得タイトル:
「忠言は継承される──声を受け入れるリーダーが、次世代を育てる」
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