孔子は、人が忠告や助言をどう受け止めるかについて、次のように語った。
「筋の通った正しい言葉(=法語)に出会ったとき、
『はい、わかりました』と従うことは難しくない。
でも、本当に大事なのは、そこから自分を改めることだ。
また、優しく穏やかな言葉(=巽与)をかけられれば、
誰だって気分は良くなる。
だが、その言葉の真意をきちんと理解し、自分の行動に落とし込むことが大切だ。
ただ喜ぶだけで深く考えず、ただ従ったふりをして改めようとしない者に対して、
私としても、もうどうすることもできないのだ」
この章句で孔子が伝えたいのは、「理解する」と「変わる」は違うということ。
「うんうん」とうなずいても、それを行動に移さなければ何も変わらない。
「改める覚悟」「掘り下げる努力」こそが、本当の学びや成長を生むのだ。
原文(ふりがな付き)
「子(し)曰(いわ)く、法語(ほうご)の言(げん)は、能(よ)く従(したが)う無(な)からんや。之(これ)を改(あらた)むるを貴(たっと)しと為(な)す。巽与(そんよ)の言(げん)は、能(よ)く説(よろこ)ぶ無(な)からんや。之(これ)を繹(たず)ぬるを貴(たっと)しと為(な)す。説(よろこ)んで繹(たず)ねず、従(したが)いて改(あらた)めざるは、吾(われ)之(これ)を如何(いかん)ともする末(な)きのみ。」
注釈
- 法語の言(ほうごのげん)…筋が通った、道理にかなった正しい言葉・忠告。
- 巽与の言(そんよのげん)…優しく柔らかい助言。人を不快にさせないが、真意が伝わりづらいこともある。
- 改むるを貴しと為す…「行動を改めることこそが価値である」という意味。
- 繹ぬる(たずぬる)…深く考えて意味を探る、掘り下げて理解すること。
- 如何ともする末きのみ…「どうにもしてあげられない」という、残念な無力感の表現。
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