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有終の美を飾るには、初心と戒めを忘れないこと
魏徴は、貞観十三年、太宗の近年の姿勢に危機感を抱き、十の理由を挙げて諫言した。それは、単なる批判ではなく、真に太宗が「始めたことを終わらせるために必要な心得」を伝えるためであった。 かつての太宗は、倹約を重んじ、民を慈しみ、正道を貫こうと... -
名君に並ぶ道は、比較ではなく継続にある
書物を読むと、歴代の賢帝も賢臣も、みな努力を惜しまなかったという。しかし、それでも三皇・五帝のような理想の時代には及ばないのはなぜか――太宗のこの問いに、魏徴はこう答えた。 「名君や名臣でさえ、最初は理想を目指して志を高く持つが、いったん安... -
文でも武でも徳でも、誇るべきは功ではなく、終わりまで貫く志
貞観九年、太宗はその功績を振り返り、「自ら何もせずとも異民族は服属し、国は治まり、徳政が広がった」と語った。だがその口調には慢心はなく、「これらの成果は皆、臣下の力による」とし、未来に向けての責任を強調した。「始めたからには最後まで貫き... -
勝ってもなお、慎む者だけが最後まで全うできる
歴史を見れば、大業を成し遂げた君主であっても、それを守り続けられる者は稀である。太宗は、前漢の高祖・劉邦を例に挙げ、秦を滅ぼして天下を得たにもかかわらず、その後の振る舞いが多くの誤りを招き、政の継続を危うくしたことを語った。 皇太子である... -
太平のときこそ、危機を忘れるな
治まっている今こそ、最も慎重でなければならない。太宗は「国内が安寧で、外敵もなく、五穀は豊か」と語りながらも、それは自ら一人の力ではなく、家臣たちの補佐の賜物であると述べた。そのうえで、「治まっていても乱れを忘れず、無事でも終始を保つこ... -
天災を過ちとせず、政を磨く契機とせよ
貞観十一年、大雨による大洪水が洛陽を襲った。太宗はこれを「自身の不徳による天罰」と受け止め、自らを責め、贅を慎み、家臣たちに政道の是非を諫言させた。 しかし、これに対して中書侍郎・岑文本は進言する――「今の被害は天候の自然現象によるものであ... -
傲りを捨てて省みる心こそ、災異を鎮める力となる
空に現れた彗星を見て、太宗は天の警告と受け取り、自らの驕りを深く反省した。「功績に酔い、身を慎まず、天を畏れぬ心があったのではないか」と自らを省みたことが、実は最も尊く、まさに為政者としての徳の表れである。 側近の虞世南は、歴代の王が彗星... -
妖しき兆しも、徳によって鎮められる
災異や怪異が起こるとき、君主がなすべきは恐れ慌てることではなく、まず己の政を省みることである。太宗の時代、地震や洪水、大蛇の出現といった災異が相次いだ。これに対して側近の虞世南は、歴史の先例に基づいて進言した――「天の異変は、為政者への警... -
民が満ち足りてこそ、最大の祥瑞(しょうずい)
真の吉兆とは、芝草や鳳凰などの奇異な現象ではない。それよりも、天下が治まり、民が豊かに暮らす――この現実こそが、最も尊ぶべき「祥瑞」であると太宗は語った。形式や迷信に惑わされることなく、公正で実利ある政治を重んじるべきだという強い姿勢が、... -
民の営みと天の理に寄り添う誠実さが、真の諫言となる
どれほど高位にある者でも、自然の摂理と民の暮らしを忘れてはならない。太宗が櫟陽での狩猟を計画したとき、まだ収穫が終わっておらず、天の時にもそぐわないことを理由に、県の次官・劉仁軌は進んで諫言した。身分の上下を越えて、民と時の理に基づいて...