未分類– category –
-
意見を求めるなら、問い詰めるなかれ
真の直言は、寛容の中に生まれる 貞観十八年、太宗は「臣下は往々にして君主の顔色を伺い、甘言をもって取り入ろうとする。私は自らの誤りを正すためにこそ、率直な意見を聞きたい」と側近たちに語った。 しかし、散騎常侍の劉洎は冷静に指摘した――「陛下... -
孝を軽んじた悔いは、一生拭えぬ
礼を尽くすことは、心を尽くすこと 貞観十七年、太宗は側近たちに対し、亡き両親への喪において礼を尽くさなかったことを深く後悔していると語った。「人間にとって最も痛ましいことは、親を失うことである」としながらも、帝王である自分が当時その痛みを... -
愛する者こそ、遠ざけて守れ
愛情と配慮は別物である 太宗は才能を評価していた皇子・魏王李泰を宮中の武徳殿に住まわせた。それに対し魏徴は、李泰が過度に寵愛されているように見えることが周囲に誤解を与えかねず、また本人にも負担を与えると強く諫言する。 魏徴の主張は、次の3点... -
学ばぬ者は、壁の前に立つがごとし
学ばなければ、判断の軸も持てない 唐の太宗は、戦乱の時代には本を読む暇もなく、ただ経験の中で行動していた。しかし、天下が太平となった今、読書を通して過去の聖賢の教えに耳を傾け、初めて自らの過ちに気づけたと述懐する。 「学ばぬ者は、塀に向か... -
歴史に恥じぬよう、三つの戒めを守る
評価を恐れるのではなく、記録に耐えうる行動を 貞観十六年、太宗は自身の行動が史官にどう記されているかを褚遂良に尋ねた。褚遂良は「善い行いも過ちも、史官は包み隠さず記す」と答えた。 太宗はそれを受けて、悪く書かれないよう自らが努めている“三つ... -
忠義を疑う者は、信を断つ者なり
人を信じるとは、その過去をも超える覚悟である 魏徴が謀反を企んでいると讒言されたとき、太宗はそれを一蹴した。魏徴はかつて太宗の敵である兄・建成の配下だった――にもかかわらず太宗は、彼の忠義を認めて重用していた。「彼がかつて敵だったからこそ、... -
小さな過ちを暴く者、大きな信を失う
忠言は正義ではなく誠意から 太宗は、進言の道を開いたのは忠義の声を聞くためであり、告発合戦の場とするためではないと強く訴えた。多くの者が同僚の小さな過失を封書で告発してくるが、それは真の忠義ではなく、讒言にすぎない。君主が臣下を疑い始めた... -
批判の刃が向く先を見誤るな
正義を装った言葉でも、志がなければただの分断となる 唐の太宗のもとに、「一人が多くの職を兼ねるのは不適切」とする『抜士論』という文章が提出された。筆者・陳師合は、あたかも公平を説くかのように見せながら、実際には杜如晦らを名指しせずに批判し... -
近き者の影響を侮るなかれ
人は誰の近くにいるかで変わる 若き日の皇太子がどのような人物と交わるか――それが後の人格形成と国家の命運を左右する。唐の太宗は、皇太子時代に柴紹や竇誕と交遊したが、彼らから悪い影響を受けなかったのはなぜかと問い、自らを省みた。それに対して名... -
第二章 隋の佞臣は唐になっても変わらない
一、現代語訳 貞観7年(633年)、太宗が**蒲州(現在の山西省南部)に巡幸(視察)**した時のこと。 その地の刺史(長官)趙元楷は、地元の高齢者たちに黄色い薄絹の単衣を着せて沿道に並ばせ、自らも同じ服で太宗を迎えた。また、役所の建物を豪華に飾り...