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哀悼に占いは要らぬ
―『貞観政要』巻一より 🧭 心得 人の死を悼む心に、占いの吉凶を持ち込むべきではない。太宗は、辰の日に哭く(な)いてはならないという迷信を理由に、弔問を拒む者が出ている風潮に強い懸念を示した。真の礼は心からの哀悼にあり、占いや迷... -
礼は親しき間にも順あり
―『貞観政要』巻一より 🧭 心得 どれほど親しい親族関係であっても、礼には守るべき順序がある。太宗は、自身の皇子が叔父に対して礼を尽くすのは当然としても、叔父がそれに返礼するのは礼の秩序を乱すことだとして改めさせた。親しき仲であ... -
礼はかたちに非ず、道理にあらねば改むべし
―『貞観政要』巻一より 🧭 心得 真の礼儀とは、かたちにこだわることではなく、道理にかなっていること。太宗は、自身の名に含まれる文字であっても、必要以上に避けるのは道理に反するとして、古の礼典に則るよう改めた。伝統に見えて実は後... -
歴史に虚飾を加えるな、事実こそが未来の教師である
君主の非も善も、記録されてこそ教訓となる 貞観十四年、太宗は国史の記録について房玄齢に問い、「なぜ歴代の皇帝は、自らの国史を閲覧できないのか」と疑問を呈した。これに対し房玄齢は、「史官が君主の善悪を余すところなく記すことで、君主に非道をさ... -
記録は、権力よりも正義に仕える
歴史は真実を記すためにあり、誰の顔色も見ない 貞観十三年、太宗は諫議大夫・褚遂良(ちょすいりょう)に対し、起居注の記録内容について問うた。起居注とは、天子の言動を日々記録する公式文書であり、君主自身も原則として閲覧できないものとされていた... -
筆よりも徳を、記録よりも実行を
君主の名声は、言葉ではなく行いによって残る 貞観十一年、著作佐郎の鄧隆(とうりゅう)が上奏し、太宗の過去の文章を編纂して文集としたいと申し出た。これに対して太宗は、文集の作成そのものを明確に拒否した。 太宗はこう述べる。「政治上の命令が民... -
歴史は飾るために非ず、正すために記せ
華やかさより、誠実な諫言を記録せよ 貞観の初年、太宗は国史の編纂を担当していた房玄齢に対して、歴史のあるべき姿を問うた。『漢書』や『後漢書』には、楊雄や司馬相如、班固らの書いた華美な賦(詩的散文)が数多く収録されていたが、それらは「勧善懲... -
学ばざれば、光ることなし
人は生まれながらに才を持つが、磨かねば道を知らぬ 太宗は中書令・岑文本に向かって、人の本質についてこう語った。「人は生まれながらにして性質を授かっているが、それを活かすには学問によって磨かねばならない」と。 この考えは自然界の比喩によって... -
学問の正しさは、時を越えて築かれる
正義の解釈を定め、学の混乱を正す 貞観四年、太宗は儒学の根本である五経の本文と注釈が長年にわたって混乱していることを憂い、当時の学問的最高権威であった顔師古(がんしこ)に詔を下して、五経の校訂を命じた。師古は秘書省の蔵書を精査し、誤字脱字... -
学なき者に政(まつりごと)は任せるな
人を得ることこそ政治の要、そして学識こそその資格 貞観二年、太宗は政治の本質について語った。「政治の要は、ただ人材を得ることにある。もし才能のない者を用いれば、国家は乱れる」と明言し、任用における最も重要な基準は「徳行」と「学識」であると...