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妖しき兆しも、徳によって鎮められる
災異や怪異が起こるとき、君主がなすべきは恐れ慌てることではなく、まず己の政を省みることである。太宗の時代、地震や洪水、大蛇の出現といった災異が相次いだ。これに対して側近の虞世南は、歴史の先例に基づいて進言した――「天の異変は、為政者への警... -
民が満ち足りてこそ、最大の祥瑞(しょうずい)
真の吉兆とは、芝草や鳳凰などの奇異な現象ではない。それよりも、天下が治まり、民が豊かに暮らす――この現実こそが、最も尊ぶべき「祥瑞」であると太宗は語った。形式や迷信に惑わされることなく、公正で実利ある政治を重んじるべきだという強い姿勢が、... -
民の営みと天の理に寄り添う誠実さが、真の諫言となる
どれほど高位にある者でも、自然の摂理と民の暮らしを忘れてはならない。太宗が櫟陽での狩猟を計画したとき、まだ収穫が終わっておらず、天の時にもそぐわないことを理由に、県の次官・劉仁軌は進んで諫言した。身分の上下を越えて、民と時の理に基づいて... -
欲よりも志を――狩猟に己を任せぬ君の徳
貞観十四年、太宗は沙苑に出かけ、自ら猛獣を射る狩猟を行った。朝早く出発し、夜遅くに戻るという無理を押しての行幸だった。 これに対し、特進・魏徴が歴代の故事を引用して諫める。 『書経』は、周の文王が狩猟を慎んだことを褒めている。 『春秋左氏伝... -
諫言は、剛よりも柔に宿る――君を動かすのは言葉の品格
貞観十一年、太宗は狩猟のため懐州を訪れた。その際、一通の上封書が届き、こう記されていた。 「どうして山東の民を苑や宮殿の造営に従事させるのか。今の民の苦しさは隋と変わらぬ。たびたびの狩猟は、わがままな君主の証。今また懐州で狩りをしているが... -
機知と諫言の妙――瓦の傘で諫める忠臣の心
ある日、太宗が狩猟に出かけた際、途中で雨が降ってきた。太宗が「雨具はどうすれば漏れないだろうか」と尋ねると、諫議大夫・谷那律はこう答えた。 「瓦で作れば、決して漏れません」 この一言には、「陛下には野外ではなく瓦屋根のある宮殿(=政務)に... -
帝王の身は天下の柱――狩りに慎みを
貞観年間、太宗は狩猟を好んだが、秘書監・虞世南がそれを諫める上奏文を提出した。 虞世南は、まず古来より秋冬における狩猟が伝統として行われてきたこと、そして太宗が民を害する猛獣を倒し、その皮革を軍事資源として活用していることを評価しつつも、... -
足るを知ることが、帝王の品格である
貞観十二年、太宗が東方への狩猟の旅に出て洛陽へと向かう途中、顕仁宮に滞在した際のこと。そこで、離宮の管理官たちが多数処罰された。その理由は、太宗への進物が少なかったり、食事の準備が行き届かなかったからであった。 この事態を見て、魏徴が厳し... -
君の命運は、天ではなく己の行いにあり
貞観十三年、太宗は側近の魏徴らに語った。 「隋の煬帝は、父・文帝の豊かな治世を受け継いだ。関中にとどまり民を安んじていれば、隋は滅ぶことはなかっただろう。だが彼は、民を顧みず、諫言を拒み、行幸に耽った。江都に向かい、忠臣・董純や崔象の言葉... -
君主の驕りと、臣下の沈黙――それが滅亡を招いた
貞観十一年、太宗が洛陽の離宮で遊覧中、煬帝が築いた池と宮殿を見ながら、側近たちに語った。 「煬帝はこれらを造るために民を酷使し、民の暮らしより自身の贅沢を優先した。詩人が詠んだ『どの日も軍が動き、織機が空になった』という言葉は、まさにその...