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利益を求める前に、仁義を貫け
「利益よりも道理──“仁義”が組織を持続させる礎となる」 孟子は、戦国の雄・梁の恵王に対して真っ向から「仁義」の重要性を説いた。 恵王は孟子に「遠路はるばる来たからには、我が国に何か利益をもたらしてくれるのだろう」と尋ねた。しかし孟子は即座に... -
感情を制する者こそ、国を制する
貞観十六年、太宗は自らの感情や方針に迷いを抱きつつ、魏徴に「私の内面にある驕りや甘さ、感情の過不足について、遠慮なく進言してほしい」と求めた。 これに対して魏徴は、「賢者も愚者も、欲望や喜怒の感情を抱く点では変わらない」と答えた。だが、**... -
勝ったあとの油断こそが最大の敗因
太宗は、「天下の平定は成し遂げたが、守り方を誤れば功績も長続きしない」と語った。その実例として、秦の始皇帝を挙げ、六国を併せた偉業をなしながら、その晩年には奢りや暴政により天下を失ったことを「戒め」とした。 太宗はまた、臣下たちに対し「公... -
有終の美を飾るには、初心と戒めを忘れないこと
魏徴は、貞観十三年、太宗の近年の姿勢に危機感を抱き、十の理由を挙げて諫言した。それは、単なる批判ではなく、真に太宗が「始めたことを終わらせるために必要な心得」を伝えるためであった。 かつての太宗は、倹約を重んじ、民を慈しみ、正道を貫こうと... -
名君に並ぶ道は、比較ではなく継続にある
書物を読むと、歴代の賢帝も賢臣も、みな努力を惜しまなかったという。しかし、それでも三皇・五帝のような理想の時代には及ばないのはなぜか――太宗のこの問いに、魏徴はこう答えた。 「名君や名臣でさえ、最初は理想を目指して志を高く持つが、いったん安... -
文でも武でも徳でも、誇るべきは功ではなく、終わりまで貫く志
貞観九年、太宗はその功績を振り返り、「自ら何もせずとも異民族は服属し、国は治まり、徳政が広がった」と語った。だがその口調には慢心はなく、「これらの成果は皆、臣下の力による」とし、未来に向けての責任を強調した。「始めたからには最後まで貫き... -
勝ってもなお、慎む者だけが最後まで全うできる
歴史を見れば、大業を成し遂げた君主であっても、それを守り続けられる者は稀である。太宗は、前漢の高祖・劉邦を例に挙げ、秦を滅ぼして天下を得たにもかかわらず、その後の振る舞いが多くの誤りを招き、政の継続を危うくしたことを語った。 皇太子である... -
太平のときこそ、危機を忘れるな
治まっている今こそ、最も慎重でなければならない。太宗は「国内が安寧で、外敵もなく、五穀は豊か」と語りながらも、それは自ら一人の力ではなく、家臣たちの補佐の賜物であると述べた。そのうえで、「治まっていても乱れを忘れず、無事でも終始を保つこ... -
天災を過ちとせず、政を磨く契機とせよ
貞観十一年、大雨による大洪水が洛陽を襲った。太宗はこれを「自身の不徳による天罰」と受け止め、自らを責め、贅を慎み、家臣たちに政道の是非を諫言させた。 しかし、これに対して中書侍郎・岑文本は進言する――「今の被害は天候の自然現象によるものであ... -
傲りを捨てて省みる心こそ、災異を鎮める力となる
空に現れた彗星を見て、太宗は天の警告と受け取り、自らの驕りを深く反省した。「功績に酔い、身を慎まず、天を畏れぬ心があったのではないか」と自らを省みたことが、実は最も尊く、まさに為政者としての徳の表れである。 側近の虞世南は、歴代の王が彗星...