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民の死を自らの責任とみなす王に、人は自然と集まる
孟子は、為政者が民の死や飢えに対して無関心であることを、鋭く批判する。 富者の飼う犬や豚が、人間の食べるものを食べていても、誰もそれを取り締まらない。道端に餓死者が倒れていても、米倉を開いて米を施すことをしない。 そして、いざ人が死ぬと「... -
民の暮らしを満たせば、王者の道は自然と開ける
「人が満ち足りてこそ、真の王者──生活と道徳の両輪が組織を動かす」 孟子は、民の生活を安定させるための具体的な施策を丁寧に挙げた上で、「これを実行して王にならなかった者は、歴史上一人もいない」と断言する。 各家庭に五畝(ごほ)の宅地を与え、... -
王道とは、民の生を養い、死を悼む道である
「生を養い、死を悼む──真の豊かさが王道を拓く」 孟子は、民の暮らしを根底から支えるための方策として、三つの基本を挙げる。 農繁期に労役を課さないこと 民の農作業の時期を妨げなければ、穀物はあふれるほど実る。 細かい網で魚を獲り尽くさないこと... -
五十歩百歩――本質が同じなら違いはない
「五十歩百歩に安住せず──比較より、理想との距離を問え」 孟子は、恵王の「自分は心を尽くして政治をしているのに、隣国と変わらないのはなぜか」という問いに対し、戦争のたとえを用いて鋭く応えた。 ある戦場で、太鼓の音に合わせて兵が前進し、敵と接... -
善意だけでは民はついてこない
「尽力しているつもりでも、人は心に従う──伝わる政治、伝わる経営を」 梁の恵王は、民を思って心を尽くして政治を行っていると語る。凶作があれば、余裕のある地域に民を移し、穀物も分配している。こうした配慮は、他国のどの王よりも優れていると自負し... -
独りの楽しみには、本当の喜びはない
「民と苦しみを共にせずして、どうして独り楽しめようか」──共感と責任が、真のリーダーの条件 孟子は、古典『書経』湯誓篇を引用しながら、孤独な支配と真の喜びの欠如を鋭く指摘する。 かつて悪王・桀(けつ)は、自らを太陽になぞらえて「自分が滅びる... -
人とともに楽しむ者こそ、真に楽しめる
「共に築き、共に喜ぶ──民と偕に楽しむ心が組織を育てる」 孟子は、前章で「賢者にして後これを楽しむ」と述べたが、今回はさらに一歩踏み込み、「賢者とは人とともに楽しむ者である」と説く。 彼は『詩経』の「霊台の篇」を引用し、周の文王がいかにして... -
賢くあってこそ、真の楽しみがある
「真に楽しむ力は、徳ある行いの上に生まれる」 ある日、梁の恵王が庭園の沼のほとりで、鴻(おおとり)や雁、大鹿や小鹿を眺めながら孟子に問うた。 「賢者もまた、こういうものを楽しむものか?」 それに対して孟子は、やわらかく、しかし明確に答える。... -
真の仁義は、人を見捨てず、忠を尽くす=徳治の実践原理
「利益よりも正道を──“仁義”が人と組織の信頼を築く」 孟子は、仁のある者は親を見捨てず、義のある者は君主をないがしろにしないと説いた。 「仁」とは人を思いやる心であり、「義」とは正しさを貫く行いである。 親を思いやる気持ちがある者が、親を見捨... -
利を先にすれば、やがて国が滅ぶ
「利を先にすれば奪い合い、義を先にすれば信頼が生まれる」 孟子は、王から始まり、大夫(だいふ)、士、庶民に至るまで、皆が「いかに利益を得るか」と口にするようでは、国はやがて滅びると警告した。 地位ある者が高い俸禄を受け取りながらも「義」を...