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人事は信頼の基盤、軽んじれば国は揺らぐ
― たとえ登用でも「慎み」が要になる 孟子は斉の宣王に対して、人材登用の軽率さを戒めた。「古くから続く由緒ある国」とは、大きな樹木(喬木)がある国ではない。代々仕えて君主と命運を共にする「世臣」がいる国をいうのだと。 ところが、王には親しく... -
国を治める責任から逃れることはできない
― 他人に厳しく、自分に甘い王を問い詰める孟子のまごころ 孟子は、斉の宣王に巧みに問いかけながら、統治者としての責任と自覚を引き出そうとした。 まず孟子はたとえ話を用いる。「もし王の家来が、自分の妻子を信頼して友に預け旅に出た。ところが戻っ... -
好色もまた人の本性——それを民と共にすれば、王者の道を妨げはしない
斉の宣王は、先の「財を好む」発言に続いて、もうひとつの“欠点”を打ち明ける。 「私にはもう一つ悪い癖がある。それは“色を好む”ことだ」 孟子はすぐにそれを否定せず、こう返す。 「昔、周の祖である大王(古公亶父)もまた色を好み、妃を深く愛した」 ... -
財貨を好むならば、民とともに好め——そこに王者の資格がある
斉の宣王は、孟子の言葉に感銘を受け、こう言った。 「良い言葉だ」 すると孟子はすかさず問い返す。 「それならば、なぜ実行なさらないのですか?」 これに対し、宣王は少し逃げ口上のように答える。 「私はひとつ悪い性癖があって、それは“財貨を好む”こ... -
仁政の出発点は、弱き者を思いやる心にある
斉の宣王は孟子に尋ねた。「王者の政治とはどのようなものか、お聞かせいただけるだろうか」 孟子は即座に答える。「それでは、かつて周の文王が諸侯の一人として岐(き)を治めていたときの政治を例に挙げましょう」 文王の政治とは以下のようなものであ... -
明堂を壊すか残すか、それは“王道を行う覚悟”があるかどうかで決まる
斉の宣王は、孟子にこう尋ねた。 「世間の人々は皆、明堂など壊してしまえと言っている。私もそうした方がよいのだろうか。先生はどう思われますか?」 明堂とは、かつて周の天子が諸侯を集めて政治を執り行った場所。諸侯の前で政令を発し、天下の秩序を... -
諫言は責めではなく、共に喜ぶための忠誠のしるし
孟子は続けて、景公が晏子の進言をどう受け止めたかを語る。 斉の景公は、晏子の忠告に心から感銘を受け、非常に喜んだ。そしてすぐに大規模な仁政の布告を出し、自ら郊外に出て民の暮らしぶりを視察するなど、具体的な行動に移した。 その際、彼は初めて... -
流連荒亡に溺れるか、先王の道を歩むか——王自身が選ぶべきである
前項で孟子は、先王の巡行が「民を顧みる政務」であったことを語った。それを受けて、今度は現代(孟子の時代)の諸侯たちの堕落ぶりを、手厳しく批判する。 孟子は言う。 「今の諸侯たちはまったく違います。彼らが出かけるときには軍勢を伴い、その兵に... -
君主の遊びもまた、民のためにある——それが先王の姿である
孟子は、民と楽しみを共にすべしと説いた前節に続き、かつての斉の景公と名宰相・晏子のやりとりを引き合いに出して、「真の君主の遊び」とは何かを語る。 斉の景公はあるとき、晏子にこう尋ねた。 「私は、転附や朝儛の山を見物し、海岸沿いに南下して琅... -
民と喜びも悲しみも共にする王こそ、王道を歩む者である
斉の宣王が離宮・雪宮で孟子と面会したとき、王は楽しげに尋ねた。「先生のような賢者も、このような場所で楽しむことはあるのだろうか」 孟子は答えた。「あります」 しかし、続けて重要なことを語った。「人というものは、自分がその楽しみにあずかれな...