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諫言は責めではなく、共に喜ぶための忠誠のしるし
孟子は続けて、景公が晏子の進言をどう受け止めたかを語る。 斉の景公は、晏子の忠告に心から感銘を受け、非常に喜んだ。そしてすぐに大規模な仁政の布告を出し、自ら郊外に出て民の暮らしぶりを視察するなど、具体的な行動に移した。 その際、彼は初めて... -
流連荒亡に溺れるか、先王の道を歩むか——王自身が選ぶべきである
前項で孟子は、先王の巡行が「民を顧みる政務」であったことを語った。それを受けて、今度は現代(孟子の時代)の諸侯たちの堕落ぶりを、手厳しく批判する。 孟子は言う。 「今の諸侯たちはまったく違います。彼らが出かけるときには軍勢を伴い、その兵に... -
君主の遊びもまた、民のためにある——それが先王の姿である
孟子は、民と楽しみを共にすべしと説いた前節に続き、かつての斉の景公と名宰相・晏子のやりとりを引き合いに出して、「真の君主の遊び」とは何かを語る。 斉の景公はあるとき、晏子にこう尋ねた。 「私は、転附や朝儛の山を見物し、海岸沿いに南下して琅... -
民と喜びも悲しみも共にする王こそ、王道を歩む者である
斉の宣王が離宮・雪宮で孟子と面会したとき、王は楽しげに尋ねた。「先生のような賢者も、このような場所で楽しむことはあるのだろうか」 孟子は答えた。「あります」 しかし、続けて重要なことを語った。「人というものは、自分がその楽しみにあずかれな... -
大勇とは、天下の横暴を怒り、民を救う決意である
孟子はさらに続けて、真の勇気――すなわち「大勇」の本質を説いた。 彼は古典『書経』の一節を引用し、周の武王の言葉を紹介する。 「天は民を地上に下し、彼らを導くために君主を立て、師(導き手)を置いた。上帝(天帝)は彼らにこう命じた――“我を助けよ... -
刀に手をかけるのは匹夫の勇、民を安んずるのが王者の大勇
孟子の言葉に感銘を受けた斉の宣王は、こう告白した。「なるほど先生のお言葉は立派だ。しかし、私は一つの“持病”がある。それは“勇”を好むことだ」 孟子は即座に応じた。「王よ、もし勇を好まれるのであれば、どうか“小勇”ではなく“大勇”をお好みください... -
仁者は天を楽しみ、智者は天を畏れる——礼をもって交わる者が国を保つ
斉の宣王は問うた。「隣国とどのように交わればよいか、良い方法があるだろうか」孟子は即座に答える。「あります」 そして語り始めた。ただ仁徳のある者だけが、自国が大国であっても、傲慢になることなく、小国に対して礼をもって交わることができる。 ... -
民の声は誤らない——その不満には理由がある
孟子は、自らの経験を引き合いに出して語る。 「私が最初に斉の国境に着いたとき、まず確認したのはこの国における最も重い禁令でした。なぜなら、どんな掟があるかも知らずに国に入るのは無謀だからです」 そして聞いたのは衝撃的な事実だった。「斉の国... -
民と共に使えば「小さい」と言われ、独占すれば「大きすぎる」と非難される
斉の宣王は、かつての理想的な君主・周の文王の狩り場について問うた。「文王の狩り場は、なんと七十里四方もあったそうだが、それは本当か?」 孟子はうなずき、こう答える。「伝えによれば、確かにそうです」王は続けて言う。「それほど広かったのか!」... -
民と喜びを共にする者こそ、真の王に近づく
孟子は語る。もし王が音楽を奏でているとき、民がその音色を聞いて心から喜び、互いに言い合うようであれば——「我が王はお元気にちがいない。でなければ、あれほど楽しげに音楽を奏でることなどできまい」と。 また王が狩りに出かけたとき、民がその華やか...