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言葉には責任が伴う──問われた場に応じて語るべき「道理」の重さ
燕の国が、斉によって討たれた。ある者が孟子に問う。「先生が斉に、燕を討てと勧めたそうですね。本当ですか?」 孟子はこう答える。「私は燕を討てと“勧めて”はいない。沈同が『燕は討つべきでしょうか?』と聞いたので、私は『討つべきだ』と答えた。だ... -
個人的な問いであっても、道に背くことにははっきりと異を唱える
斉の臣・沈同が孟子に対し、「これは私的な質問です」と前置きをしつつ、こう尋ねた。「燕は討つべきでしょうか?」 孟子はためらうことなく答える――「討ってよい」ただしそれは単なる好戦的な判断ではなく、礼と道義に照らした上での、明確な理由に基づい... -
葬儀は形式ではなく、親を思う子の心を表すものである
弟子・充虞から「棺が立派すぎたのでは」と問われた孟子は、それに対して丁寧に自身の考えを語った。 孟子によれば、古代には棺や椁(外棺)に寸法の決まりはなかった。しかし時代が下るにつれて、棺は厚さ七寸、椁はそれに見合うようにという基準が定めら... -
本当に尊敬できる師とは、疑問をぶつけることのできる相手である
孟子が斉の地で客卿として仕えていたとき、母が斉で亡くなった。孟子は故郷である魯に帰り、母を手厚く葬った。その帰路、嬴という村でしばし休んだ際、弟子の充虞(じゅうぐ)が恐る恐るこう尋ねた。 「先日、愚かな私をも信じて、先生は棺を作る仕事を任... -
人には役割があり、それを越えて干渉しないこともまた賢さである
孟子が斉の国で客卿として仕えていたある時、王の命によってある国へ弔問に出向くことになった。同行したのは、王が寵愛する重臣・王驩(おうかん)。王驩は、旅の道中、朝夕に孟子に会いに来ては礼を尽くしたが、弔問という使命の本題について、孟子は一... -
自分の立場をわきまえ、理にかなった自由な進退を貫く
孟子は斉の大夫・蚳鼃(ちあ)に対して、「あなたが霊丘の長官を辞めて、諫言も可能な司法職(士師)を求めたのは立派なことです。王に進言するための職を選んだのですね」と語りかけた。だが、数か月が経っても蚳鼃は王に諫言せずにいた。孟子はその責務... -
相手を責めず、気づかせることで自覚と反省を引き出すのが、賢者の話術
ある日、孟子は斉の王に謁見し、こう語った。「王様の領内で、大きな都市を治める五人の大夫を私は知っていますが、自分の責任と罪を自覚しているのは、孔距心だけです」と。 それだけ言って、孟子は孔距心とのやり取りを静かに語り聞かせた。すると、王は... -
自分に任された人々が苦しんでいるなら、それを見過ごすのもまた罪である
前節で孟子が語った「職務を怠る兵士は処分すべき」という問いに大夫が頷いたことを受け、孟子は今度はその視点を彼自身に向ける。 「あなた自身もまた、隊列を離れていないか? 凶作や飢饉の年には、あなたの管轄する地域で老人や病人が餓えて溝に倒れ、... -
小さな役目でも怠れば処罰される。それ以上の立場なら、なおさら責任は重い
孟子が斉の領地である平陸を訪れたとき、そこの大夫(長官)にこう尋ねた。「あなたの部下で、ほこを持って警備にあたる兵士が、一日に三度も隊列を離れて職務を怠ったとしたら、どうしますか?」大夫は即答した。「三度も繰り返さなくとも、すぐに処分し... -
君子は、必要な支援は受けても、私利のための金品には屈しない
前項の疑問に対し、孟子は明確に答える。「すべては文脈により正しい」と。 孟子は、宋では遠方への旅に出る際に贐(せんべつ)を受け取った。これは儀礼として当然であり、使者の言葉にも「餞別である」と明記されていた。また、薛では危険があったため、...