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王道は、武力を超えた徳の力で民を動かす
― 武王の征伐に民が心から従った理由 孟子は前項に続いて、王道の本質が「力による支配」ではなく、「民の信頼と徳による統治」にあることを、周の武王の征伐を例に挙げて説く。 武王は、暴君・紂(ちゅう)を討ったあとも、なお悪政を行っていた残党を東... -
民が望んだ征伐、それが王道の戦い
― 正義の軍とは、暴政を討ち、民に恵みをもたらすもの 孟子は、湯王の征伐が葛に始まり、十一の国を討って天下に敵なしとなった故事を語る。しかしそれは、武力による支配を目指したのではない。悪政を敷く君を討ち、苦しむ民を救うという「義」に基づいた... -
王道とは、民のために正義を貫くこと
― 利を求めず、義によって動く政治の本質 弟子の万章(ばんしょう)は、宋という小国が王道の政治を行おうとしていることについて問うた。「しかし、強国である斉や楚がそれを憎み、攻めてきたらどうすべきでしょうか」と。 孟子は、殷の始祖・湯王と葛の... -
志にではなく、成果に報いる
― 仁義を説く者も、堂々と報酬を受け取る資格がある 前項に続き、弟子の彭更(ほうこう)はさらに疑問を投げかける。「建具屋や大工が仕事をするのは、食べていくためです。では、君子が道を説くのも、結局は食禄(しょくろく)を得るためなのですか?」と... -
士が受ける食禄に価値はあるのか
― 仁義を体現する者は、物を作る者と同じく価値をもつ 弟子・彭更(ほうこう)は、孟子の旅の規模――数十台の車列と何百人もの従者――を見て、「諸侯の国々を回って食禄を得るのは分に過ぎたものではないか」と疑問を呈した。 孟子はこれに対して明快に言う... -
道に背いた仕官は、恥ずべき近道
― 志ある仕官とは、誠実と節義の上に立つ 前項を受けて、魏(旧晋国)の周霄はさらに問う。「この国も仕官にふさわしい国であり、そんなに急いで仕官すべきなら、先生が未だ仕えないのはなぜか」と。 孟子はこれにたとえ話で応じる。男子が生まれればよき... -
士が位を失うとは、国家が祀りを失うこと
― 志ある者にとって「仕える」とは、単なる地位ではない 周霄が続けて問う。「たった三ヶ月仕えないからといって、なぐさめを送るのは大げさではないか」と。これに孟子は、厳粛に答えた。 士(し)にとって「仕える」ということは、生活の手段や名誉以上... -
真の君子は、仕えるべき君を待ち続ける
― 志ある者は、ただ黙して時を待つにあらず 魏の周霄が孟子に問う。「昔の君子は、本当に君に仕えていたのか」と。これは孟子が積極的に仕官せず、あくまで自らの節を守る姿勢を貫いていることに対する、皮肉を込めた問いでもあった。 孟子は答える。「も... -
真の大丈夫は、仁・礼・義を貫く人
― 富貴にも屈せず、貧賤にも動じず、威武にもひるまぬ心の力 縦横家の景春は、外交術で諸侯を動かした公孫衍や張儀こそ「大丈夫(だいじょうふ)=男の中の男」だと讃えた。だが孟子は、それに強く反論する。諸侯の顔色をうかがい、利を追い、怒れば恐れら... -
曲げた己には、他人を正す力は宿らない
― 志を貫くためには、己を偽らない覚悟が要る 孟子は、志士としての節義を貫くため、諸侯にへりくだることを拒み続けた。前項の続きとして、彼は趙簡子とその御者・王良の逸話を引いて、信念を曲げてまで成果を追う愚かしさを語る。 名御者・王良は、礼法...