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真の節操とは、人倫を尊び、情理をわきまえること
― 偏屈な孤高は、道を誤る危うさをもつ 前項の続きで、匡章はなおも陳仲子(ちんちゅうし)の廉潔な生き方を擁護する。 「仲子は自分で靴を織り、妻は麻をつむいで、それと交換して生活しています。それなら、他人の不義に染まっていないと言えるのではな... -
見た目の節操より、その本質を問え
― 本物の「廉潔」は見かけではなく、徹底した自己確認にある 斉の人・匡章(きょうしょう)は、陳仲子(ちんちゅうし)の節操を称えて孟子にこう語った。 「仲子は、兄が得ていた俸禄が不義のものだとして、実家を出て於陵に移り住みました。飢えに耐えて... -
天命を受け継ぎ、聖人の志を継ぐ者として
― 弁論は使命であり、正道を守るための戦いである 孟子は前項に続いて、自身が「弁論を好む者」とされることに対し、それは誤解であるとはっきりと否定し、自分の行動は天命によるものだと力強く宣言する。 孟子はまず、歴代の聖人たちの偉業を引いて、自... -
世に乱説あふるるとき、正しき道を守る者が要る
― 魂の混乱を正すのは、言葉の戦いによってのみ成される 孟子は語る。孔子が没した後、聖王は現れず、諸侯は勝手放題にふるまい、民間の学者たちも勝手気ままに言論を弄した。その中で特に影響力を持ったのが、**楊朱と墨翟(墨子)**であった。 楊朱は「... -
筆の力で世を正す ― 孔子が『春秋』を記した理由
― 言葉による秩序回復のために、あえて歴史を記した 孟子は、周王朝が次第に衰え、聖人の道が行われなくなっていったことを語る。世は乱れ、臣が君を殺し、子が父を殺すという、倫理の崩壊が現実のものとなった。このような無秩序と道徳の崩壊に直面して、... -
正しき王道は、乱世の中から誕生する
― 周公と武王は、乱を正し、民を救った 孟子は、前項に続いて「なぜ自分がやむを得ず弁論するのか」という話を、歴史を踏まえて論理的に補強する。 堯・舜という聖人が没した後、聖人の道は次第に衰え、暴君たちが代わる代わる現れた。彼らは民の住居を壊... -
弁論は好みではなく、時代の混乱が求める応答である
― 君子は必要があるとき、沈黙を破る 弟子の公都子が孟子に尋ねた。「世間では、先生は弁論を好む人だと言われていますが、それは本当でしょうか?」 孟子は静かに否定する。「私は弁論を好んでいるわけではない。ただ、やむをえずやっているのだ」 孟子に... -
間違いと知ったなら、すぐに正すのが義である
― 時を引き延ばす改革は、義の精神に反する 宋の大夫・戴盈之(たいえいし)が孟子に尋ねた。「先生のおっしゃる井田法(什一税)を採用し、関所や市場の税を廃止する政策は、たしかに理にかなっているとは思いますが、今年中に急にすべて行うのは難しいで... -
誇りと節義を守ることが、君子たる者の基本
― 自らを曲げて権勢に近づくことを恥とせよ 弟子の公孫丑(こうそんちゅう)は、孟子に問いかける。「先生は諸侯に自ら会いに行かれない。それはなぜですか?」 孟子は答える。古来、仕官していない者は諸侯に自ら会いに行くことはなかったと。たとえば段... -
君主の徳は、身近にいる人の徳によって決まる
― 善を求めるなら、まず善き環境を整えよ 孟子は、宋の臣・戴不勝(たいふしょう)に問いかける。「あなたは、あなたの王が善良になることを望みますか?」 そして、たとえ話で説明を始める。ある楚の大夫が、自分の子に斉の言葉を学ばせたいと思ったとし...