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真の「恭」と「倹」は、内からにじみ出るもの
孟子は、「恭倹(きょうけん)――慎みと倹しさ」の徳について、本物と偽物の違いを明確に示している。 **「恭者(きょうしゃ)」**は、自らを慎み、へりくだる人であり、他人を決して侮らない。 **「倹者(けんしゃ)」**は、慎ましく倹約する人であり、他... -
瞳は心の鏡である。人の本心は、目にあらわれる
孟子は、人の真の在り方を見抜くには**「瞳(ひとみ)」を見よ**と説く。人間の内面は、言葉や態度で取り繕うことはできても、瞳の奥にある本心まではごまかせないという。 心が正しければ、瞳は澄みきっている。 心が曲がっていれば、瞳はにごり、どこか... -
君主に媚びて民を苦しめる者は、最も重い罪を負う
孟子は、民を顧みずに君主の私利を追求する臣を、厳しく非難する。その代表例として登場するのが、孔子の弟子である**冉求(ぜんきゅう)**である。 冉求は、魯の権臣・季孫氏の家老となったが、 季氏の悪徳を正さず、 民に対する税(穀物)を倍増させて、... -
長老を敬う者のもとに、天下の人は帰する
孟子は、周の文王が仁政を始めたとき、天下に名高い二人の賢者――**伯夷(はくい)と太公望(たいこうぼう)**が、それぞれ東西の海辺から立ち上がって彼のもとに身を寄せたという逸話を語る。 二人はどちらも、殷の暴君・紂王の圧政を避けて隠れていたが、... -
誠を尽くせば、必ず人の心は動く
孟子は、人が他人を動かすには、まず自分が「誠=まこと」を尽くすことが不可欠であると説く。自分が誠実でなければ、他人を感化することはできず、どれほどの言葉や地位も空虚に終わる。 孟子は、信頼と誠の連鎖構造を丁寧に説き明かす: 下の者が上に信... -
大切なことは、いつも目の前にある
孟子は、人が求めるべき「道(みち)」や「仕事(つとめ)」は、実はとても近く、やさしいものだと説く。にもかかわらず、多くの人はそれを遠くの特別な場所に探しに行き、難しいものにすり替えてしまう。 道は身近なところにある。 行うべきことは、本来... -
自暴自棄は、心の崩壊から始まる
孟子は、人としての可能性を捨ててしまう**「自暴(じぼう)」と「自棄(じき)」**の二つの態度を厳しく戒めている。 **「自暴」**とは、口を開けば礼儀や道徳など無意味だと切り捨てる者のこと。 **「自棄」**とは、礼や義を価値あるものと認めながらも... -
仁は備えるもの。備えなければ、時が来ても手遅れになる
孟子は、民が仁に帰服するのは自然の摂理であり、そこには一切の強制も奇跡も必要ないと説く。それは、水が低きへ流れ、獣が広野に走るような当然の道理である。 魚を淵に追いやるのは獺(かわうそ)であり、 雀を草むらに追うのは隼(はやぶさ)である。... -
天下は「民の心」から始まる。信なくして統治なし
孟子は、夏の桀王や殷の紂王が天下を失った根本原因を明言する――それは民を失ったからであり、さらにその原因は民の「心」を失ったからである。 天下を治めたいと願うならば、その出発点は「民の心を得ること」にある。孟子は、天下・民・心の三段階の関係... -
すべての滅びは、自らの行いに始まる
孟子は、不仁なる者とは対話する価値がないと断言する。なぜなら彼らは、 危険を安全と勘違いし、 災いを利益と思い込み、 滅亡へ向かう行いを喜んでするからである。 こうした者たちは、誤った自己認識ゆえに破滅へと進んでいく。もし彼らが本当に語り合...