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富貴利達ばかりを求めて生きる人にはなりたくない
富や地位ばかりを追いかける人生は、まやかしの虚像に過ぎない 孟子が語るのは、斉の国にいた一人の“虚勢を張る男”の寓話的エピソードです。 この男は、一人の妻と一人の妾と共に暮らしていた。彼は外出すると毎回、酒や肉で満腹になって帰ってきた。妻が... -
聖人といわれる人も同じ人間である
聖人は特別な存在ではなく、人間の可能性の象徴である 斉の国の儲子(ちょし)が孟子にこう尋ねる: 「わが国の王(斉王)が、人をやって先生の様子をひそかに見させています。それは先生が“人と異なるところがあるか”を確かめようというのです。先生は、... -
自分の先師筋の行動をよく理解する
行動は異なれど、“道”は一つ――曾子と子思の選択をどう見るか かつて、子思(しし/名は伋〔きゅう〕。孔子の孫、曾子の弟子であり孟子の先師の一人)は、衛の国にいた。 その地に斉の侵略軍が迫った際、ある者が子思に問う: 「敵が来ました。なぜ立ち去ら... -
自分の先師筋の思考をよく知る
賢者は戦わず、民を守るために身を引く――曾子の「沈黙の徳」 かつて曾子(曽子、孔子の高弟の一人)は、魯の武城に住んでいた。そこに、越の軍勢が侵入してきた。ある者が問う: 「敵が迫っています。なぜ逃げないのですか?」 曾子は静かに答える: 「人... -
善を責むるは朋友の道なり
親を正すことの重さと、その痛みに耐えた匡章の徳 孟子は、弟子・公都子の問いに続いて、匡章(きょうしょう)と父のあいだに起きた葛藤の真相を語る。 世間では、匡章を「不孝者」と見なす者が多かったが、孟子は彼を次のように擁護し、その行動の背後に... -
自分の正しい評価基準を持つ
風評に流されず、真に「不孝」とは何かを見極めよ 孟子の弟子・公都子(こうとし)が、ある日こう問いかける: 「匡章(きょうしょう)は、国中で不孝者と悪評されています。しかし先生は、彼と親しく交わり、さらには礼をもって接しておられます。なぜそ... -
立場が変わって違うことをやっても道は同じである
道を貫く者は、どの立場にいても「同じ心」で生きている 孟子は、**聖王のもとで公務を果たした禹(う)・稷(しょく)と、乱世に個人として徳を磨いた顔回(がんかい)**の行動を比較しながら、彼ら三人はすべて「同じ道(=仁義と誠実)」を生きた者であ... -
君子には終身の憂いはあっても一朝の患いはない
真の憂いは、自分がまだ聖人の道に至っていないということ 孟子は言う。君子(くんし=人格者)は、**人生を通じて「何かを成せていないこと」への自省・問題意識(憂い)**を持っているが、一方で、突発的な災難や不運(患い)には動じない。 それはなぜ... -
人を愛する者は常に人に愛される
仁と礼を守る者は、自然と人から敬愛される 孟子は、君子(人格者)と凡人の違いは、何よりも「心を失わず、常に本心=道徳心を守り続けること」にあると説く。 君子は常に、 仁(じん)=人を愛する心 礼(れい)=人を敬う心によって、自らの心を保つ。 ... -
礼はおべっかに優先する(孟子の意地)
礼を守ることは、人を恐れず、媚びないことの証である ある日、斉の大夫・公行子(こうこうし)の長男が亡くなり、喪儀が執り行われた。弔問に訪れた王驩(おうかん、右師の役職)は、有力者としてその場に現れた。 その際、会場では多くの人が、王驩が門...