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人の価値は、誰と交わるかで見えてくる
孟子は、孔子が災難に遭っても節義を保ち、身を寄せる相手を選んだことを例に、**「人を見るには、その人が誰と付き合うかを見よ」**という古人の知恵を説く。もし孔子が、本当に腫物医者や宦官に身を寄せていたならば、彼の聖人としての価値など無に等し... -
礼と義をもって仕え、天命を待つ――孔子の潔い進退
孟子は、孔子が仕官のために卑しい者の家に身を寄せたという俗説を否定し、その生き様がいかに「礼」と「義」にかなっていたかを語る。孔子は進んで仕えるときには礼に外れず、退くときにも義を忘れなかった。だからこそ、地位や成功の有無は自分の意志で... -
世を正すには、まず己を正す――潔き身こそ聖人の根本
孟子は、他人や天下を正そうとする者が、まず自らの行いを潔くすることが前提であると明言する。どれほど偉大なことを成すにしても、身を辱めたり道義に反する手段を取ってはならない。そして伊尹の逸話を引きつつ、「料理人として取り入った」などという... -
先覚者とは何か――義のために世に出る決意
孟子は、伊尹(いいん)が当初出仕を拒みながら、最終的には湯王(とうおう)に仕えた動機を明らかにし、真の「先覚者(せんかくしゃ)」とは何かを説く。伊尹は仁義の道を一人楽しむよりも、君を聖人とし、民を聖なる民とし、自らその実現をこの目で見よ... -
義に非ずんば取らず――伊尹に見る「志の潔さ」
孟子は、伊尹(いいん)が料理人として湯王に取り入ったという俗説をきっぱりと否定する。伊尹は、義(ぎ)にかなわない行動や、道(みち)に外れた行いを絶対にしなかった人物であり、天下を与えられようと、四千頭の馬を差し出されようと、動じなかった... -
位を譲るも、継がせるも――すべては天の義にかなう道
孟子は、堯・舜による賢者への禅譲と、夏・殷・周に見られる血縁による継承(継嗣)とを対立的に捉えるべきではないと語る。賢者に譲ることも、子に継がせることも、天命に基づいていればその「義」は等しく正しいのである。その証として、伊尹(いいん)... -
天命は人の力を超えて働く――徳のみでは天下を得られぬ理由
孟子は、舜・禹・益の継承と、その子や後継者たちの賢不肖の違いを通して、天命と人力の限界を明確に説いた。舜や禹のような人物が天下を得たのは、高い徳と、天子からの推薦という二つの条件が揃っていたからであり、孔子が天下を得なかったのは、徳はあ... -
天下は「子」か「賢」か――天が選ぶのはその時ふさわしき者
孟子は、禹(う)が賢者に位を譲らず子に伝えたことを「徳の衰え」と見る通俗の見方を否定する。天は賢者に与えるべきときは賢者に、子に与えるべきときは子に与えるのだと説く。その判断基準は天自身が下すものであり、誰が実際に支持され、受け入れられ... -
民が望むところに天意が宿る――舜の即位と天命の可視化
孟子は、舜が天子となった過程において、天意と民意が一致したことをもって、正統性の根拠とした。天が与えるとは、神々がその祭祀を受け入れ、政治が安定し、民が安心することで現れる。天は言葉を持たず、民の受容を通じてその意志を示す。堯の子を差し... -
天下は授けるものにあらず――天は言わず、行いで応える
孟子は、堯が舜に「天下を与えた」という表現に対し、それは誤解であるときっぱり否定する。天下は人が与えるものではなく、天がその人物の「行い」と「応じた結果」をもって与えるものだ――これが孟子の天命思想である。舜が天子になったのは、堯の推薦と...